一度でいいからたっぷりと

家の洗濯機が壊れた。先代は脱水時に、まるでダンスを舞うように大暴れし出した。激しく踊る迷ダンサー。それで買い替えたのが今回、壊れた物。このところ調子が悪かったのだが、まるで地下鉄がホームに入ってくる時のような音を残して、とうとう逝ってしまった。毎日使う物だから早急に必要。けれど安い物ではない。結構な高額家電だ。いざ買い替えるとなると又、それなりの出費の覚悟が必要か。このご時世、少し、いや、いや、かなり痛いな。洗濯機‥洗濯機‥生活の頭の中でこの言葉が廻る。「センタクキ‥センタッキ‥センタッキー」キリキリと迫ってくる。

それで思い出した事がある。三十年前。その時、私は東京多摩地区に開店したばかりのデパートに入る手打蕎麦店の店長として店のフロアにいた。「汁が辛くて食べられない」と二十歳前後の若いカップルに声をかけられた。辛いなら水で薄めれば良いものをとは想いつつも、そこは若き店長の旺盛なサービス精神。少量の出汁を満面の笑みで「これで薄めてくださいね」と持って行った。横目で見るとそばを猪口に入れて、『くるくるくるくる』と廻している。ご丁寧な事に右に数回廻してから左に逆回転。汁が滴るままに手繰っている。(まるで洗濯機)と思った。そんな蕎麦屋の隠語があるのかどうかは定かではないが、それはまさに確かに、洗濯機そのものだった。

「そばの先に汁を一寸つけて手繰る、そうしないとそばの香りがわからない」そばの通人を気取る男が常に言っていた。その男が病気になり死の間際に行ったセリフが、「死ぬ前にたった一度でいいから、そばにたっぷり汁をつけて食べたい」。明治の作家『南新二』作の小話と云われている。十代目金原亭馬生が落語『そば清』の枕に振って知られたそうだ。私もそばの食べ方についてよく質問されるが、私には正解はない。ないと思っている。故に答えられず「好きに食べるのが一番」と答えている。それでも食い下がってくる熱心な御仁には「耳から食べないで」と言う事にしている。中には鼻から食べる人もいるかもしれないから。件の若い二人はその通人が死ぬ前にやりたかった事の何倍かをやっていたわけだ。汁を味わうのが目的ならば、そばの食べ方としてこれもありか。汁の方を愛でていてくれたのかも知れない。

大方の蕎麦店の汁の材料は差異が少ない。醤油・味醂・砂糖で作る『返し』。鰹・宗田鰹・鯖等の節を用いて抽出した『出汁』。昆布や椎茸を使う店もある。これらを合わせてそば汁は作られる。つゆ作りは単純だが、気の抜けない大変な仕事。それなら皆、同じ味になるのかと言えばそれが違う。そこにこそ、そば店の汁の深さと妙がある。打つそばの粉による仕上りの違いもある。そばと汁の調和が、それぞれの店の甘い汁・辛い汁とそばと汁の味と個性を作り出している。要は食べる側も自分が一番美味しいと感じる食べ方を工夫する事、それが大切。肝心なのは、その工夫を見つけ対応する食べ方と方法を見つける事こそが、本当に美味しいと感じるそばの食べ方につながっていくのだと思う。そば食いも何か哲学的である。

午前中に新しい洗濯機が届いた。昼食はそばにしよう。汁たっぷりの『洗濯機』で食べてみるか。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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