眠れる『町のそば屋』が化けた

世の中には自分に似た人間が3人はいるという。

個の人間だから確かに3人くらいは、自分と同じような人間がいるのだろう。
これが店となると、ましてやそれがそば店となると、同じような店はたくさんあるから、似たようなお店は多いのかもしれない。
だから世の中に百店舗ぐらいの似た店はあるのかなと思う。

そこに、二軒の似た店があった。

2018年も押し詰まった暮れに、数日違いで二軒の店から、店舗のリニューアルの相談を頂いた。
一軒は近年、新たに開設された鉄道の進展に伴い、発展いちじるしいSY市の店。
勢いのある道路拡張で細い道が六車線道路に変わり、にわかに大手飲食チェーン店が、次々に進出している。
元々あった細い一般道に面していたこの店は、店の正面が新たな道路に背を向けて、裏を向いてしまった形。長い間、店の側面だった新道路に面した空き地を利用して店の正面をそちら側に向け、既存の店は取り壊し、新店舗を立て替える予定。

数年前に亡くなった奥さんに代わって息子さんと、義妹さん達が立ち働いている。

もう一軒は、東京の多摩地区T市の店。
こちらは既存の店舗を外装、内装、厨房設備の全面リニューアルする。
地元育ちの五十代半ばのご夫婦で切り盛りしているが、近隣のお得意さんだった工場の相次ぐ移転や閉鎖と、この後このまま旧態依然のメニュー構成では、売上も尻つぼみになっていく不安と、ご自身の体力を危惧しているとの事だ。

双方に共通しているのは、親の代から続く開店50年以上を経た、昔からのそば店を継いだという事。

近年、流行りの洒落て小粋なそば店というにはかけ離れて、身近な近隣の人が慣れ親しんだ、いわゆる昔からの町のそば屋さんで食堂的な存在の店。固定客はついていているのだけれど、その固定客が時代の流れとともに少しずつ減っているのが現状。
このリニューアルを機に、何か新たな展開をしたいと考えているところだそうだ。

この二つの店は、良く似ていた。

顔合わせと打ち合わせで、双方の店に伺った。
似ている。店の椅子とテーブル等のたたずまい、一時代前のそば屋さんの匂い、どこか懐かしい古びた感じ。昭和の店そのものだ。

何より、双方の店舗に貼られているポスターが同じ。

「けんちんそば・うどん」「味噌煮込みうどん」「山菜そば・うどん」「味噌田楽」
そう、これは業務用の問屋が持ってくる販促用の商品ポスターだ。

食材パックの封を切るだけの商品を提供している。だから、同じポスターに操られるが如くに、ふたつの店の品書きには大きな異いがなかった。

そして、夜の酒を提供する営業を諦めているのも共通だった。
両店共、ご主人はお酒が苦手。それゆえ、酒肴になる様な一品料理がほとんど無い。
枝豆以外は、目玉焼きとかウインナーやフライドポテトとか、定食にもう一品的な品ばかり。これではお酒も飲めないなぁ。自分が飲む飲まずに関わらず、そこは酒出して売り上げ伸ばしましょうよと伝えると、異口同音でそんなもんですかねぇと返って来た。
良い意味でも悪い意味でも、二代目ののんびりさとおっとりさも共通している。

調理の技術は長い経験があるから、確かな腕があるのだけれど。

心強い要素として、リニューアルに向けて、このふたつの店に共通する事がある。
自己所有の店舗、家族で運営、何よりも広い駐車場がある事。
駐車場に関しては両店共に、今までその利点を生かす事が無かった。
近隣のお客さんが対象の店だったので、車利用のお客さんは、ほぼいなかった。

駐車場がある事で、商圏が広い範囲で見込める。車が6台止められるのも、偶然だが、両方の店舗で同じだ。

さぁ私は、どうしたものか?
数日、思案しながら取り組み方を考えていた。

たまたま、散歩の途中で地元商店街の催事で開催されていた、商工会の臨時相談所の前を通った。

妙に目に付く黄色いテントに『何か打つ手がある』と。

閃いた。これがヒントになった。
何か打つ手はある。そうだ、打つ事だ。
ふたつの店に共通するのは、そばが主役になっていない事だと思った。
決しておざなりにそばを作っている訳ではないが、そば店にも関わらずそばが、1アイテムの様に品書きの中に埋もれている。
長年の習慣と流れで提供するそばは、先代からのままの製麺を継承している。

そばを変えようか?そうは言っても、ここで手打ちに変えても量が打てなければ繁盛しない。それならば、手打ちと機械打ち双方の利点を活かした、ハイブリッドそば打ちで行こう。

そば屋なのだからそばで勝負しよう。そば屋はそばが美味けれりゃ良い。
ここが『勝負所』だと、そばの品質を上げることを提案した。
お客様にそば自体を楽しんでいただけるように手間をかけて数種類のそばを打つ。その分、定食的なメニューは一切やめる。
今まで手間と時間がかかっていた、売れ筋のどんぶり物はやめるか減らす。
先ず、そばを食べてもらう。
ただし、そこにこだわり過ぎると店の押し付けになってしまうので、
柔軟な姿勢のメニュー構成を図った。
「こだわらないこだわり」それもテーマの一つだった。

先ずは、まずメニューを根本的に変える事にした。そばは3種類打ち、料理メニューは酒飲みが好みそうな物を増やした。酒屋さんのアドバイスをもらい扱い酒の種類を増やした。出前はやめるので、これを機に器は思いっきり洗練された物に変えた。

親から店を引き継いだ人は、大きく二つのタイプに分かれる
どちらがどうという意味ではなく、一つは少しずつ改革をしながら、自分のやりたい方向を目指して舵を切っていくチャレンジタイプ。
もう一つは、引き継いだ店に変化を求めないまたは、変化させないように維持していく、錨を下ろす保守タイプ。
この両店のご主人は、後者のタイプだから、いざ店の工事が終わりを間近になり、新装開店の日が近づくにつれ、不安が積もって来た様子が見えた。
「うちみたいな店が、こんなそばや料理出していいのか、無理じゃないだろうか」
と、言いだす。そこで私はキッパリと言った。
「ダメだったら、元に戻せばいいじゃない、店が新しくなっただけだと思えばね」
笑って答えた。

でも、オロオロしている両店の思いを感じて、一番不安になっていたのは、実は私だったのかも知れない。

落語や芸人の世界で今は売れてないけれども、何かのきっかけで人気者になる。人気を呼ぶかもしれないという意味合いで、この人は、もしかしたらすごく売れる=『化ける』かもしれないよと表現するのを聞いた。売れれば、あれは化けましたよだ。

化けた。

このふたつのお店はまさに『大化け』した。

さてこの両方の店すぐに化けたかというと、そう簡単にはいかなかった。
当初しばらくの間は、両店ともにかなり苦戦をしていた。
それはそうだろう、今までの顧客を切ってしまったわけだから。
東京多摩T市の店に何度か様子を伺いに行くと、今日は昼12人しか来なかったと、先行きに少しばかりの不安を感じているのだろうと思った。
チラッと洗い場を覗けば、確かに洗い残しの器が、ほんの少し積んであるだけだった。

埼玉Y市の店はほぼ2年の間、有名飲食サイトではそば店とは認識されず、検索すると相変わらず食堂部門に掲載されていた。これには、流石に私が悔しかった。 

今やネット上の情報でY市の店は、常にいっぱいのお客で入れないほどの、その地区の正にナンバーワンになった。かたや、T市の店は「市民が選ぶ店大賞」を獲得して、こちらも連日連夜、満席の店になった。

眠れる森の美女ならぬ、眠れる町の蕎麦屋
私はこの二つのお店に、チュッと口づけして潜在と環境の長い眠りを目覚めさせたという自負はある。
もともと力がある店だもの。
技術と経験ならば、年齢的に言って長い期間そばに携わっている。

違っていたのは、親御さんから譲られた店を継続するという事だけで、過ごしてこられた安泰な環境が、次第に厳しくなってきた現実。それを捉え、安住せずに改革に舵を切った勇気。私の提案は、ヒントとキッカケになっただけで、それに続く工夫や努力は、ご本人達の力があってこその賜物だと思う。

私が手伝えたのは、ダイナマイトの導火線に、チョロっと火を点けただけの事。
少し背中を押し、目を覚まさせただけである。
時代は流れ行きニーズが変化して行く中、店を取り巻く環境は年々変わって行く。

この変化をどう捉えるかは、それぞれの考えがあるのだろうと思う。そのまま変わる事を求めず、現状を持続して行くのが良いのか。その正解はわからないけれど、店存続の不安と先代からの店に対する感慨を継承する策として、それに気がついたのが、この二つの店だと思う。

 

口づけをされ目覚めた「眠れる森の美女」

口づけをされ目覚める「町のそば屋さん」

さて、この記事を読んで下さっている、眠れる町のそば屋さんは はたして、どれだけいらっしゃるのか?
もっとたくさんの店に口づけをしたいのだけれど、なかなかどうしてねという所。
尖らした唇をどこにも向けられずに、眠れる我が家の猫にチュ〜をした。

どうぞ化けた猫になりません様に、こちらはそうお願い致します。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

記事一覧に戻る