本物のそばって何だろう/お客さん!ニセモノのホンモノあるよ

「お客さん、本当のニセモノ、あるよ!」店のおじさんが、まるで宝物を見せる子どものように目を輝かせて叫ぶ。
「すごいニセモノだよ、ホンモノよりよく出来てるんだ、これが!」

目の前に次々と現れるのは、光を反射してキラキラするブランドバッグに、金属が鈍く光る貴金属、手触りの良いネクタイ、滑らかな万年筆――はては怪しげな精力剤や媚薬まで。「これ、ぜーんぶニセモノ、安いよ!」

もちろん買うつもりはない。でも、おじさんの真剣な顔から滲む“ホンモノ口上”に、思わず吹き出してしまう。もし誰かに「好きな言葉は?」と聞かれたら、迷わず答えたい――「本当のニセモノ」。いや、座右の銘にしてもいいくらいだ。

市場の空気は煙と香ばしい匂いで満ちている。炭火でモウモウと焼かれる魚一尾、ジュウジュウと弾ける脂の音、傍らに並んだたっぷりの惣菜――それらを平らげたら、もう『ホンモノのホンモノ』で満腹、満足。さすがは有名観光地の名物だ。

さっきのおじさんの口上を思い出しては、またひとり笑い。ホンモノとニセモノが入り混じるこの場所の熱気や活気に、自然と胸が弾む。

市場の出入り口にあるアーチをくぐり、チラリと見上げた看板のハングル文字。私の目には『東◯門市場』ではなく、なぜか『とんでもんね市場』に見えた。きっと、拙いハングル判読力による読み違いだろう――でも、その“とんでもなさ”が、この市場の陽気さや自由さを象徴している気がして、思わず笑みがこぼれた。

「ナガちゃん、これあげる」知人のS氏が金無垢の時計を差し出した。

「うぁ!ロレックスじゃないですか本当にいいの?」

「ありがたく受けとって」S氏は鼻をピクピクと膨らまして笑いをこらえている。これは、何かあるなと思いながら、手渡された時計を見た。

妙に薄っぺらな金メッキ感、重厚さとは程遠い軽さ、文字盤を見れば、何と『ROLEX』の『E』が『A』だ。

「これロラックスだ、いゃ〜笑っちゃう」私は、バカ受けして大笑いした。

ホンモノを装う事を超越したニセモノ中のホンモノ。ホンモノとかニセモノを通り越して、ここまで行けば、立派なパロディの世界だ。

 同席していた、Sの実兄で強面の元警察官、通称ブーさん。「俺のは、本物のロレックスだぜ」腕にはめたシルバーの渋い光沢をした時計を見せ出した。人は良いのだが、見た目はちょと怖いタイプ。

「新婚旅行で行った香港で買った」そうだ。その時、隣にいたT君が私の耳を包む様にして、小さな声でつぶやいた。

「ナガちゃん、あれニセモノだよ」T君は以前、御徒町の貴金属店に勤めていたと聞いたことがある。

「何んで解るの?」私も、彼の耳元で小さな声で聞く。

「ベルトのところが板を巻いたようになっているでしょ」言われて見てみれば、ベルトのチェーンが、ラーメンにのっている鳴門のように『の』の字だ。

「本物は一枚板を削り出してあるの、だからアレはニセモノ・・」彼と顔を見合わせ、こっくりと頷きあった。今は言わぬが仏と二人暗黙の了解。

強面のブーさんは、まだ左手の時計をフリフリとさせている。自慢げに満面の笑みで、ホンモノのニセモノをーー。

韓国の商社が『そばチェーン』を展開する企画があり三年間、度々と韓国を訪れていた時期があった。現地には『麺研究ラボ』の施設があり、一日中詰め込まれていた。

時間が空いたので、「今日は地場の市場飯でも、見物がてら食べに行くか」と、連れ立って出かけた。とある市場での事。市場の名誉のために名は伏せておくとしよう。

市場入り口、門外の店先にちょいと顔を覗かせた皺顔のおじさんに、声をかけられた。「安いものある、よ」手招きする手の、妙に色気がある動きにつられ、店内に誘い込まれた。こちらは、おじさん三名だから好奇心が旺盛ならぬ優勢だ。

「お客さん、本当のニセモノある、よ」店のおじさんが続ける。「すごいニセモノ、よ、ホンモノより良く出来きている、よ」出してくるは、出てくるは、ブランドバックや、貴金属、ネクタイ、万年筆、はては精力剤に媚薬まで。「これぜんぶニセモノ、安い、よ」もちろん買うわけはないが、おじさんの真剣な顔から発せられる「ホンモノ」口上に笑いっぱなし。もしも、あなたの好きな言葉は?と聞かれる事があれば、「本当のニセモノ」と答えようか。いや、これは座右の銘にしたい位の名セリフだ。

煙をモウモウとさせて焼く、魚一尾の炭火焼き魚定食とたっぷりの惣菜を食べ終えて、『ホンモノのホンモノ』に満腹で満足。さすがに有名な観光地の市場名物。さっき聞いた口上を思い出し笑いしながら、ホンモノとニセモノが、混在しているこの場所の活力を感じた。市場の出入り口にあるアーチをくぐった時、チラッと見上げた名称看板のハングル文字。『東◯門市場』が『とんでもん市場』と読めた。きっとこれは拙いハングル文字判読力しかない、私の読み違えだと思う。

「本物のそばはやはり、手打ちでそば粉十割ですよね?」と、本当に良く聞かれる。聞かれる度に私は、両手を胸に当て、膝を折り曲げ、首をかしげて「わかりません」と、これちょっと可愛いけれど、品を作って見せる。申し訳ないが、正直に言って答えられないからだ。

御上が定めたそばの含有量が、干しそばは三割以上・上級は四割以上等々のJAS規格を持ち出す事も無く、生そばにはJAS規格もない。製麺方法も、手打ちだろうが、機械打ちだろうが、それが本物か否かの判別には、これっぽっちも関係ないと思っている。

『エノケ一座』が、戦後の村々を廻って興行し、笑いに飢えていた人々に好評だったという話を聞く。ロラックスの時計と同じで、パロディとして楽しんでいたのだろう。

『我が愛するチャップリン』という詩がある。『チャップリンのそっくりさん大会で本人が二等だった』と、『ホンモノがニセモノ?』に負けた事の、おかしみを愛情込めて描いている。私の大好きな詩人『川崎 洋』さんの作品だ。

エノケの役者達は、エノケンに憧れ、その情熱で芝居をしていたという。『ニセモノのホンモノ』だ。チャップリンのそっくりさん達も、愛して止まない笑いの神様に成り切った『ホンモノのニセモノ」。さてさて、いったい本物って何だろう。

自分を思う。店を辞めてから、もう長く久しい。だから近年は、ひと月に12回のそば打ちしかしない。最早、そば職人とは言い難い立場の自分に問う。「君はホンモノのニセモノ?ニセモノのホンモノ?ホンモノのホンモノじゃないよな?」と。「わかりません」両手を胸に当て、膝を折り曲げ、首をかしげ、鏡に向かって可愛く品を作って答えるか。『ロラックス』と同じ、笑えるニセモノだと、例えばあなたが思ったとしても、願わくば『NAGAYAMA』の最後の『A』を『E』にはしないで欲しい。『永山寛康』が『長辞め寛康』になってしまうから。

こいつ、やっぱりホンモノの『ニセモノのニセモノ』と、笑われない事を切に祈る次第である。

 著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

 

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