イタリアでは『そば切り』を食べるのか?
そば粉の麺タリアテッレを使ったピッツォッケリというパスタがあることは、知識としては、確かに認識してはいるけれど・・・果たして・・どうなるのか。
イタリアでそば切りとそばを使った料理を食べる会を開く。突然、降って湧いたような話は、あれよあれよと言う間に走り出した。
2018年のまだ寒い頃だった。旧知のKさんから連絡があった。5月か6月に「フィレンツェでそばの会をやって欲しい」との事。
「イタリアのフィレンツェでしょう、行きますよ〜」と気軽に返事をした。
『二つ返事の安請け合い』は、私の十八番で得意技だ。
街中が屋根のない美術館といわれているフィレンツェ。何より私にとってそこは、童話ピノキオの生まれ故郷(正確には作者の)。
幼い頃からピノキオの話がとても好きで、部屋にはピノキオ人形が、数体飾ってあるほどなのだ。
普通の『そば会』なら、そばを打って見せれば良いだけだからと、小さな木鉢と麺棒と包丁を抱えて行く程度に軽く考えていた。
さて数日後、現地での通訳と手伝いや航空券の世話をしてくれるW女史と初回の打ち合わせをする事になり、その際に聞いた話に驚いた。
『フィレンツェマニフィコクラブ日伊文化交流協会』が主催し、会場は『アルドブランディーニ教皇宮殿』で、とても由緒がある建築物。
マニフィコクラブ日伊文化交流協会は、フィレンツェ在住の『福井順子代表』が能・文楽・着物・美術品等の日本の古くからある文化をフィレンツェ中心に紹介活動しているとの説明を受けた。会場のアルドブランディーニ教皇宮殿は、ローマ教皇クレメンス8世がその昔、御宿泊された宮殿で、クレメンス8世の本名から付けられたとの事。
宮殿はメディチ家の礼拝堂(立派な塔)に隣接しているそうだ。
今回は、地元の美術関係者と経済人のみに限定した催しで、在住の日本人はお断りする趣旨だそうだ。
主催者の要望があった。
◎そば打ちは絶対に見せたいけれど、15分以内で終わらせて欲しい。
◎そばの料理は25人分を最低8種作って欲しい。
◎食文化としてそばに合わせて日本酒を楽しんでもらいたい。
◎メインの会が終わったら翌日から『ワークショップ』を開いて欲しい。
「そば打ちを15分?何故」と聞けば、あちらの方々は「ひと所で15分以上立ち止まり物を見るという事はしない」と説明された。
何やらすごい話になっていて、さぁ、それからが大変になった。
この頃、私は数年振りに多忙な時期を過ごしていた。新宿・浦安・立山・表参道・本厚木と各店舗を巡回する仕事が、ほぼ毎日入っており時間に追われていた。瞬く間に日々が過ぎて行く。
時間を見つけては連絡を取り合い、基本的に食材は現地調達する事にした。ワークショップの道具の手配は、写真を送って代用になる物を先方にて手配してもらい、自分が使うそば打ちの道具類は、やや小振りな物を新たに一式買い揃えた。
当日作るメニューは既に送ってあったので、案内パンフレットが送られて来た。日本酒の手配と現地での説明は、既にイタリアにて日本酒の広報販促活動を勧めておられる、名誉唎酒師酒匠の『手嶋麻記子先生』にお会いして全てお願いした。
出発の日。私はそば打ち道具を詰め込んだ超大型のキャリーバック2つを押し成田に向かった。
ローマで飛行機を乗り継ぎ、フィレンツェのペレトラ空港に着いたのはもう深夜。生憎、雨が降り出した。宿泊先はピッティ宮殿の近く、サント・スピリト地区にある主催者所有の1600年代の建物の3階1フロア。ここに2週間滞在する。狭く段差が高い階段で荷物を上げるのには一苦労した。
翌朝、目覚めて窓の外を見るとまだ霧雨が降っていた。しっとりとした雰囲気に誘われる様に早速、一人で街を見て廻る。早朝、雨の異国。メランコリっクな気分は、まだ夢の中にいるようだ。ほんの3分ほど歩いた所に、ちょっとした広場があった。『パッセラ広場』とある。
昨夜聞いた話では、宿泊先の隣の建物は、モナリザのモデルが生まれた建物と伝わっているだそうだ。 宿泊先に戻り一息付いてから早速、市場を見に行く事にした。何より心配していたのは、現地での食材調達だった。
日本の食材を取り扱っている店も回り、ほとんどの品は調達出来た。ただし、時期的に鴨肉が無いので、そばつゆの素『返し』で焼く『鴨の返し焼き』は止め、鳥取の菌興椎茸協同組合から託された大きな椎茸を急遽、水戻ししてこれを使用する事とした。
同行してくれているW女史に道々、数人の現地在住の邦人女性が何人か声をかけてくる。「そばの会やるのでしょう、私行きたい」
皆さん異口同音にそう言っている。
「残念だけれど今回は日本の人は呼べないのよ、また今度ね」
W女史はちょっと困った様な顔で断っていた。
W女史は以前この地の日本人学校で幼稚園教諭していた経験があり、当時のママさん達の顔馴染みが沢山いるそうだ。意外に邦人女性が多いのは、芸術・美術・音楽等で留学してそのまま現地で結婚し、こちらに住んでいる方々との事だ。
一日歩き回りこの日は、仕入で終わってしまった。買い出しの荷物を部屋に運び入れる。
さぁ明日は、会場の下見と道具類の搬入をする予定になっている。
宮殿のそば会Ⅱへ続く
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。