そば道具夢物語/『こね鉢』鉢も色々ありまして・・・

そば打ちに関心のない方でも、そばを打つ道具と聞いたなら、先ず最初に思い浮かべるのは、大きな『鉢』ではないでしょうか。ちょいと覗いたそば店の打ち場でも、たいがいは一番に目を引きますね。『こね鉢』は人の目をヒットする最強打者。そば打ち道具の4番バッターの登場です。

そばを打つ際、最初の作業に粉と水を合わせる「水回し」があります。続いてしっかり丁寧に「捏ね・練り」をして、練り終えた生地をきれいに仕上げる「くくり」があります。昔からこれらの作業全体を「木鉢仕事」または、そのままに「木鉢」とも言います。この木鉢仕事で、そばの出来・不出来がほとんど決まります。それだけにそば職人にとって、木鉢に向かう時の心意気には、一入なものがあるです。

この木鉢は、栃の木で作られています。単純に考えると木を横方向に輪切りにして、木材を切り出している様に思います。けれどもそうでは無く、縦方向に木取った木地を成型して、くり抜いて造られています。本漆塗りです。漆塗りの木鉢は水回しの際、サラサラと『粉の走りが良く』言葉では言い表せない感覚があります。その心地よさとは引き換えに、木と漆の鉢ですから、とてもデリケートで取り扱いに気を使います。大きいのでとても重そうに見えますけれど、片手でギュッとつかんで持ち上げることも出来ます。軽々と、と言う訳には行きませんけれど。

直径70cm・二尺三寸。木材を縦に木取っているのですから、かなり太い木が使われているのです。近年、この太さの木材は稀少で、大きな鉢も中々造れないそうです。故に高価になってしまいます。木地の代わりに成型が比較的容易なABS樹脂や、木粉と樹脂を混合して造られた物が、現在の鉢の主流になっています。樹脂製の鉢は塗面が丈夫で衝撃にも強く、価格も安価で販売されるようになりました。同じ大きさの木鉢と樹脂鉢を比べると、樹脂製はかなり重いです。小さな径の鉢でも、そこそこに重量があります。その重さがあることが、鉢の作業時に安定感をもたらして、逆にそこが利点になっています。

これは、最初に購入した二尺一寸の木鉢です。手入れが悪かったので漆もくすんでしまっていました。けれども下地の木地がしっかりしているので、塗り直せばまだまだ使えます。四十数年を経た鉢は、風格すらあります。

そばのこね鉢の色は、決まって内側が朱で縁から外は黒でした。その色こそ正に木鉢と言ったところです。ところが、最近は捏ね鉢にも色々ありまして、これらのまさにカラフルな鉢も造られる様になりました。造られましたと他人が作った様な言い方をしましたけれど、実はこの鉢、関わっていたカルチャースクールのそば講座で、受講者向けにと造った物です。生徒さんの殆どが女性でした。「可愛いからこれは女性に売れますよ」と、担当者の言葉にすっかり調子に乗って、たくさん造ってもらった次第。ところが、あに図らんや、一つも売れず終い。その後、あのたくさんの在庫はどうしたのだろう?と案じております。もし、この鉢を欲しい方がいらしたら私ではなく、講座担当者にお問合せ下さい。ただし、担当者の首が今もつながっていればの話ですけれど。

さて、こちらは大きな二尺四寸のステンレス製こね鉢です。二十数年前の一時期、事情があってこの鉢を使っていたことがありました。「貴方は木鉢を捨てたのか」とか「何を考えているんだ」等々、各方面?の方々からお叱りの声を、まぁそれはそれは数多く頂戴致しました。そんな言葉に気持ちも滅入ったりしました。ただ、その頃はまだ、今の様に多くの種類の鉢が手軽な安い価格では造られていなかったのです。当時、木鉢ならぬ鉄鉢も善かれと思っていたのは事実。苦し紛れと意地のこじつけで「テニスのラケットは、もうとっくに木製では無くなっている」などと言い張っておりました。

懐かしい写真がありました。上部から見た写真です。木鉢の縁の部分がない分、直径は同じでも作業面積が広くなっているのが解ります。改めて見てみると、かなり大きい鉢なのでビックリします。もっとビックリしたのは自分の髪の量。今ですとこのアングルでの写真は、絶対NGです。ステンレス鉢は掃除を簡単に終えられる気軽さもありました。反面、白衣の袖をまくった腕の内側の鉢の淵にあたる部位に、いつもあざの様に薄い斑点が出ていたことを覚えています。おそらく鉢の縁に微かに触れる内腕が、木鉢の持っている柔らかさとは異なり、微妙に硬かったからだと思います。さて、自論としてステンレス製の鉢は、意地を貼ることは無しに今でも『あり』だと思っています。大きなボウルではなく、家にある小さいボウルをこね鉢にしてそばを打つ。そこから始めれば良いでしょう。例えばそば道具で購入した鉢は、他に使えませんがステンレス製鉢ならば、何にでも使い回しが効きますからね。

次は、珍しい陶鉢です。直径54cmありますから、焼物としては大きい物です。昔、埼玉にある母の実家に、兜鉢という直径30cm位の古い陶器の鉢がありました。口径に対して立ち上がりが高くて深い形。その鉢でうどんなどを捏ねていたと聞きました。兜鉢は、粉が鉢の中心に集まる形状をしていますから、うどんの加水には、適しているのかと思います。一方この鉢は、そば用に粉を散らしやすい仕様にして、特別に作陶して造った大変貴重な物と聞き及んでいます。

きれいで、趣きがあるので実用としてではなく、大事に装飾品として飾っていました。「道具は使ってこそ生きる物、使わなければ意味がない」が口癖の私に妻が言いました。「道具は使ってナンボとか言っていたでしょう、それなら使わせてもらいます」と。いよいよそば打ちを始める気になったのかと思いきや、何やら鉢に水を注ぎ入れました。しばらくすると水草が浮かびだし、終いにはメダ・・・いやいや、これ以上はとても言えません。

次は鉢の台であり、中にそば粉とつなぎを合わせて保存しておく、粉の保存庫の役目も担っている木桶の『木鉢下』です。もう、殆ど目にする事がない昔の道具です。神奈川県蕎麦組合の木鉢台として、今はさすがに合わせた粉は入ってませんけれど、この木鉢下は老体に鞭打ち、少しタガも緩みガタつきながら、現役で頑張っています。

堂々と床の間に鎮座まします大切な木鉢様。使わない時は、置き場所に困ります。思い切ってそば打ちをやってみるかと、勢い道具一式買い揃えたけれど、二、三回やった後は押し入れの中にしまいっぱなしの方、たくさん知ってます。「特に鉢が大きくて邪魔になる」の言葉もよく聞きます。でもね、「道具は使ってこそ生きる物」ですね。無理に使かってとは言わないけれど、どこか部屋の片隅にでも、飾って置いてあげて下さい。何せ『こね鉢』は、ヒットが無くても、そば道具の4番バッターなのですから。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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