
「あれはきっと、うるさい客だぜ……」
厨房のすみから、客席をのぞく。
注文は一人でふた品――『せいろとかけ』。
しかも、「先にせいろで、頃合い見てかけを」ときた。
あいよ、お声がかりでね。
ほら、見てみな。
そばを二本だけ箸の先に引っかけて、ちょいと鼻先で香りを嗅いでいる。
ツルッと口に持っていくかと思ったら、持ち上げて光に当てて色を見てらぁ。
ほらな、首をかしげたよ。……やっぱりな。
猪口に汁を少し入れて、そばをつける前にありゃ、ペロっとなめてるぜ。
ほーら、また小首を振ってる。そばを食うのに、考えながらだ。……なんだか哲学的じゃねぇか。うるさい客はみんな孤独な哲学者――なんて、わきゃねぇな。
いや、まだそばを喰っては、いないんだけどね。あの猪口の持ち方を見てみな。様になってんな。おっ、そばを喰い始めたよ。——どうだ、俺のそばとつゆは。
「気になっていた、そば屋……」
暖簾をくぐり、静かな客席に腰を下ろす。
基本のふた品、『せいろとかけ』を注文。
先にと頼んだせいろが届く。そばを箸の先に引っかけ、鼻先でそっと香りを嗅ぐ。……うん、いい香りだ。光に当てて色を確かめる。このそばの透明感。そこらのそばとは、少し違う。なぜなんだろうと首をかしげる。ええと、汁の塩梅はどうかな……。猪口に少し注ぎ、舌先で確認してみる。
ああ、この店、汁がいい。立ち上がる香りが柔らかい。本枯れだけなのかな。あっさりしているようで、コクがある。ふんふんとうなずいてしまう。さっきから厨房の奥で、こちらをチラチラ見ている店主らしい人。
あの視線、気づいていないふりをしても、感じてしまう。
そんなことを考えながら、汁を注ぎ入れた猪口を、軽るーく持ってそばをひと口。見られてる。そう思うと猪口を持つ手が、緊張するな。厨房のあの人も、きっと思っているだろう。——どうだ、俺のそばとつゆは。
“そりゃ、あんたのそば喰う姿、それ見りゃ一目瞭然よ。そのそば猪口の持ち方さ。そば猪口を親指と中指で、はさんで持って、薬指は中指に軽く添え、ちょっと浮かせた人差し指は、元はと言やぁそば猪口の縁でそばを短く切るためさ。立てた小指で猪口持って、首かしげてりゃ、そいつはきっとあんた本当に、——うるさい客だ。“
「私はこれで会社を辞めました。」
そう言って、中年の男が指を一本、すっと立てた。――1980年代後半に流行った、喫煙具のCMを覚えていられるだろうか。立てていたのは、何やら意味深な小指である。
それぞれの指を立てる行為は、国によって意味がずいぶん違うらしい。
下手に立てようものなら、褒めたつもりが喧嘩を売ることにもなる。
社会概念の異なる国では、まったく、指一本立てるのも、命に関わることもある。
私の知るかぎりでは、親指は「OK」「良い」近年、インバウンドの「美味しです」。
ただし、ひっくり返せば意味が真逆になる。天国と地獄は紙一重。
人差し指は「一番」「最高」。どこの国でもわりと平和な指だ。
中指は——言わずと知れた、世界共通の“禁句ポーズ”。
薬指は、立てるどころか、立ててはいけない。不吉とされている。
もともとは「名無しの指」と呼ばれていたという。なるほど、地味なのも道理である。
そして小指。日本では、女性、恋人、愛人……と、だいたい色っぽい方面の指。
まあつまり、立て方を間違えると誤解を招くどころの話じゃない。
指一本、実にあなどれない。
客席の片隅で、小指を立ててそばをすする。
知らぬ人が見れば、「あの人、色っぽい食べ方をするな」と思うかもしれない。
そばをさっとすするために、指先で何気にそば猪口の重心をとっているだけなのだ。そのため、立っている小指には、不思議とちょいと粋な品がある。
力を抜き、姿勢を整え、そばとつゆの香りを邪魔しないための、ほんの少しの余裕が、そこに宿っている。
会社を辞めた、とCMで小指を立てた人。
これに振られた、と小指を立てる後輩。
小指をプルプルと震わせて、恋人ができたと報告にきたバイトの娘。
噛まれた小指を愛おしむ古い歌。
思えば小指も、なかなか多忙である。
そばを食べながら、そんなことを考えていた。ふと気がつけばそば猪口を持つ——ぼくの小指は立っている。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。