上の写真は、玄そばの外皮=そば殻をピンセットを使って剥いて、そばの実=抜き実を出したところ。知っている様で意外に知らない『そばの粒』。今更になりますけれど、そば粒の『実』のあるお話。
そば講習会で『そばの実』の事を受講生の方々が話をしていた。それぞれの認識がチグハグで何か話が噛み合わずに混乱状態。よく聞いてみると、あちらの人は玄そば、こちらの人は抜き実の事を話していた様だ。外皮を取り除いてある無しの違いだけなのだが、それぞれが、そばの実自体に詳しくない者どうし。黒いだの白いだの、あるいは緑だの出て来るから尚更の事、訳がわからなくなっている。
先ずは、下の写真。そば畑から収穫した玄そばは土埃等で、汚れているので粒の色もくすんんだ感じの色合いをしている。小石等も混入しているから、石貫機で小石や大まかなゴミを取り除く。その後、実と実ををこすり合わせて、付着していたゴミや土埃等を除去した状態が、黒光りした『磨き玄そば』。
玄そばの外皮(そば殻)を取り除いた『抜き実』(単に「抜き」とも、また「むき実」とも言う)。表面の甘皮がきれいな緑色をしている。茶色い部分は、花弁や顎があった部分でホシとか汚い表現だけれど、目くそなどと呼ぶ。この抜き実、数年前に、国営テレビ局の番組でロシアバレーのプリマドンナが、この抜き実を常食にしていて、それゆえ彼女は美しさを保っていると紹介していた。抜き実を食べればこのプリマドンナの様に、スタイル良くなれるが如くに、ミルクがゆにして食べている姿を映していた。この食べ方は『カーシャ』で、ロシアでは一般的な食べ方。面白い事にその放送後、我が家の近所の小さなスーパーマーケットにも置いてあった。放送熱の冷める迄の、一時期だったけれども。
最後は『そば米』。こちらはあまり知られていないけれど、やはりそばの粒。そばの実の加工品で、そば料理として、茹でる・煮る・揚げる・蒸す・焼く・炒める・抽出するなど様々に使える。そば米は玄そばを茹でて(または蒸して)皮を剥き、乾燥させて作られる。冬期に備える保存食として、食物が乏しくなる厳しい自然環境下に伝えられて来た食文化だ。
磨き玄そばを製粉機で粉にして、篩にかけて粉砕したそば殻を除く。一部のそば殻は粉になっているので黒く仕上がる。
黒っぽいそば。
粒揃えの工程を丁寧に行い、皮剥き機できれいにそば殻を剥き、製粉機で粉にしてから、篩にかけて星の部分を篩い分けると、緑がかった粉が出来る。この抜き実は、新そばの抜きたてなので、特に緑色が強く出ている。
それが、こちらのそば切り。
徳島の山間部に伝わるそば米は有名で、玄そばを茹でるのは、この地方の在来種『祖谷そば』がとても小粒で、そば殻が取り去りにくかったのが理由とされる。茹でる事により実を膨張させ、外皮と実の分離を容易にして乾燥する事で、米の代わりとして、越冬食としていた伝統がある。
山間部の越冬食だった素朴なそば米だが、料理材料として様々な顔を見せてくれる。ここからは、そば米を使ったスイーツを作ってみるとしよう。三十年前に作ったレシピの『蕎麦珈琲ゼリー』。先ず初めに、そば米を強く煙が出るまでじっくりと時間をかけて煎る。
煎りあげたそば米を湯に抽出していく。かき混ぜながら10分ほど煮出す。
漉し取る。
香ばしい香りが強く出ている。感覚は濃いそば茶だ。アガー(海藻由来の凝固剤)を砂糖に混ぜて解き加え少し冷めたら、器に入れる。
牛乳で作ったさらしな粉の緩いそばがきをかけ、軽く煎ったそば米を飾る。そば米は柔軟に変身する食材だ。
そばの粒は、間違えやすい。特に抜き実とそば米は似ているので、買い求める際は注意が必要。件のテレビ放送後、一時よく売られる様になった抜き実の隣で売っているそば米に、「こちらの商品はそばの実ではありませんのでお間違えなく、開封後交換不可」と書いた紙が貼られていた。どちらも同じそばの実なのだけれど、確かに同じ様に見えるからなと思った。
そんな自分が、先々月の講習会にそば米を持って行くはずが、講習を始めてから、抜き実を持って来てしまった事に気がついた。そばの粒云々と説明している自分が、間違えているのでは、まさに実も蓋もない。どうしようも無いので、そば米を使った料理は次回にという事にして納得して頂いた。「この抜き実は、湿らせたコットンに撒いて、蓋をしておけば芽が出ます、そばもやしが出来ます」と言ってその抜き実を受講生の方々に配り、一応その場を凌いだ。
外皮を剥いても、そばの実は胚を内包しているので、発芽エネルギーがある。これは本当の事で何粒かは発芽する。
だが残念ながら、その後三ヶ月経っても、誰からも芽が出たと言う話は聞こえてこない。そばの粒も色々とあるが、それぞれに都合があるらしい。これでは『実』の置き場も無いなと一人苦笑いしている。
そばの「実」のある話。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。