辛味大根は、そばの薬味として、すっかりお馴染みになりました。
ただし、中には全然辛味気のない辛味大根があったりして、ガッカリすることもあります。
二十年前、辛味太鼓が中々手に入らない時期に、仕入れ先のルートを持っていた知り合いの店が、せいろそばにちょこっと辛み大根おろしをつけて「辛味せいろ」として300円上乗せして売っていた記憶があります。これも時代かな。
その頃、別の知り合いから「辛くて水気が少なく旨くない大根」があるけれども、「こんな物とても売れない」と言っている長野の高地に住んでいる高齢の農家の方を紹介されました。小ぶりで大根の尻尾が長い「ねずみ大根」との事。「こんなまずい大根は、干して自家用にするだけだ」と話していました。
「是非、譲って欲しい」とお願いしたら、袋代と送料だけで良いと送ってくれました。知り合いのそば店に「薬味にすれば高く売れるよ」と恩を着せつつ分けたけれど、さばき切れずに温かい部屋に置いている間に、辛みが飛んで水気の無いだけの甘い大根になった事もありました。
さて、この写真の辛味大根は、私の知り合いのそば屋さんが、数年前のまだ辛味大根が手に入りにくい頃に「本当に辛いよ」と送ってきてくれた物。水分が少なく、おろすとパサパサした感じ。最近の辛味大根とは、格段の辛さの違い。いや、その辛かったこと辛いこと。顔がほてるぐらいに辛かったのを覚えています。
辛みを活かすために皮を良く洗い、皮は剥かずにおろします。 特に辛味の強いお尻の部分まで下ろします。 水分が少ないので、息を吹きかけると飛んで行きます。
これぞ、辛み大根の真髄ですね。
松尾芭蕉の門人・吉井雲鈴が、その昔に『蕎麦切頌(そばきりしょう)』と言う文の中で、そばと薬味の相性を語り、そばの効能や質素なるがゆえの讃歌を著しています。以下、その著を収録した昭和の初めに刊行された『蕎麦通』からの抜粋です。掲載文のままですので、そばの表記が「蕎麦」や「そば」であったりします。読みにくいので、飛ばして読んで下さい。赤字の所だけが、今回のテーマの辛み大根とそばに関する部分です。
『蕎麦切頌』「蕎麦切りといっぱ、信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける。されば宇治のお茶あって、同じく茶臼石に名高く、伊吹蕎麦天下にかくれなければ、辛味大根又此山を極上とさだむ。酒々楽々の風流物、誰かこれを崇敬せぬものはあらじ、世に道成寺の能あれば、其次は三輪にきはまり、鶴の料理過ぎて、後段の時は必そば切りの場所なるべし、常に胃の気をめぐらし、諸鬱を散じ、寿命をのぶる聖薬なるに、いずれの虚気人か中風の毒とあだ名をたてられ、蕎麦喰わぬ人も、頓死中風はするなるべし、ただ蕎麦一人の罪となるこそ口をしけれ、・・・(ここ迄が大体、半分くらい)・・夫蕎麦大根は君臣使役の付合いなるを、越後の国に胡椒の粉の折形を備へ、都の方には山葵薑(はじかみ=しょうが)にてやられるるこそ本意なけれ。・・・・・(以下まだ続きますが略します)・・」
要約すれば、そばの薬味には辛み大根が、何より一番合っている。殿様と家臣の間柄だ。それなのに最近、胡椒や山葵や生姜で食されるのが、なんとも悔しく、そりゃないぜ、そばの薬味としては本意じゃ無いと言う事。
何故か、現在の薬味定番の葱が出て来ない。この当時、葱は薬味として馴染みでは無かったのでしょうか。「鶴の料理」は、豪華な料理の総称。「後段の場所」は今風にいうところの〆ですね。
実は、この『蕎麦切頌』は、私が二十代前半の頃に、師匠の所に伺って、お教えを乞う度に毎回、聞かされていた文。時間で言えば始まりから終わりまで、大体90分間。今思えば、それはもったいなくも、とても有難い事なのですけれど、当時の若い私には、これは辛かった。今でも辛味大根を見ると、連想で『蕎麦切頌』の長い言葉が浮かんで来ます。山葵の記事でも言いましたが、「辛い・からい」という字は、「辛い・つらい」という字と同じね。長い文です。まだ若く柔らかい頭の私は、何度も聞くうちにそらで暗唱していましたが、今はほとんど忘れてしまいました。
長野県茅野の生産者の招きで行ったそば会で作った「辛み大根サラダ」。辛み大根に水分を含ませて、少し辛味を抜いて地場の野菜と共に使いました。
食用ほうずき、青トマト、生ズッキーニ等。 黒皮大根スペインラウンドのおろしそば。普通の大根より少し辛みがあります。
大根を沢山使うので、揚げたそば米を散らしました。油分があると辛みが柔らかくなります。 まさに丁度、辛味大根の記事を書こうとしていた折りに、教室を手伝ってくれている方が、復活した地場の幻の大根について、「神奈川新聞」に出ていた記事の話してくれました。さっそく調べてみると東海大学で江戸時代に消滅したとされる秦野の固定種「波多野大根」を東海大の学生さん達が再生し、新品種『秦野大根』として栽培や商品化を模索しているとの事。
「昨年は、そば店に薬味として提供し、利用客へのアンケートを通じて“幻の大根”の可能性を探った」との記事が出ていました。これ素晴らしいな。
太さが3cm程、長さが60cmの細長い大根で、継代栽培を重ねて波多野大根のように育ち、新たに「秦野大根」と命名したとの事。辛みが強く水分が少ないとの事でなおさらにそばの薬味には、とても合う様な気がします。タイムリーな話題でした。そう言えば、「東海大学前駅」は、以前は「大根」だったから、何か因縁めいたもの感じます。ぜひ食べてみたいものですね。
そば切りに一番合う薬味は山葵や葱でなく、しばらく消えて忘れられていた、辛み大根なのでしょうか?うん、確かに辛み大根があれば他に薬味はいらないかな。
時代の味覚の流行り廃りとは、まったく無縁に置き去りにされていた、素朴な野菜の辛み大根。世の中での存在価値は、時の流れで変わるけれど、そば切りにとっては何よりも変わらずにいてくれる、信頼の置ける一番の家臣である事は間違い無いでしょう。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。