
俳優の早川雪洲をご存じだろうか。
戦前から戦後にかけて、映画の都ハリウッドを中心に、パリや日本でも活躍した国際的な大俳優である。
日本人として初めてハリウッドのトップスターの座に上りつめた人物としても知られている。
映画『戦場にかける橋』では、オープニングテーマ「クワイ河マーチ」とともに印象的な演技を見せ、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
エキゾチックな美貌と東洋の神秘的な魅力。
それらを兼ね備えた雪洲は、当時のアメリカの女性たちを夢中にさせたといわれている。
現代の日本でも、これほどまでに海外で熱狂的な人気を得た俳優は、そう多くはないだろう。
一方で、その私生活は奔放で、数々の浮名を流したことでも知られている。型にはまらない自由な生き方を貫いた人物でもあったようだ。
「かっこいい」という言葉は、まさに彼のためにあるのかもしれない。
そんな伝説的な俳優・早川雪洲だが、意外なことに、身長はそれほど高くなかったともいわれている。
記録によって多少の違いはあるものの、168cmあるいは171cmほどだったという説が有力だ。
当時の日本人男性としては決して低いわけではないが、体格の大きい俳優が多いハリウッドでは、やや小柄に見えたのかもしれない。
そのため、他の俳優と並ぶ場面では、身長をそろえるために木の踏み台を用意し、その上に立って撮影することもあったそうだ。
そして、この踏み台を使って身長差を調整することを、当時の映画関係者の間では「セッシュウする」というようになり、さらにその際に使われる木の台は「セッシュウ」あるいは「セッシュ」と呼ばれた、という話が伝えられている。
世界を魅了した日本人スター。スクリーンのなかで観客を魅了した俳優。その足元には、もしかすると小さな木の台が置かれていたのかもしれない。
昨年、映画の仕事で海老の天ぷらそばを作る機会があった。
物語の中で、老いたそば店主が主人公の若い女性に作ってあげる一杯の天ぷらそば。
旅立ちの花向けに、「頑張れよ」という気持ちを込めて差し出す一杯。
このシーンが、この映画のクライマックスである。
テーブルの上に、湯気の立つ天ぷらそばがドンと置かれる。
カメラはそのどんぶりにぐっと寄り、海老天をクローズアップで捉える。
つまり――このカットは、海老の迫力がすべてと言っていい。
海老のサイズは、1パウンドに何匹入るかで表される。
一般的なそば店でよく使われるのは13/15サイズでそばに一本のせるには、まあ標準的な大きさだから、イメージしやすいと思う。
少し立派になると8/12サイズで、この大きさなら大海老天と言っても良いか。
これは見た目にも存在感が出て、なかなか絵になる。
しかし映画となると話は別である。
画面というのは不思議なもので、実物より小さく見える。
だから「大きい海老」に見せたければ、実物はさらに大きくなければいけない。
理想は6/8サイズである。
これなら、どっしりとした海老天になる。
ところが今回の撮影は、馴染みの業者がいない地方ロケであった。
知り合いのツテを頼りに、何とか「できるだけ大きい海老を」とお願いしておいた。
「できれば6/8サイズくらいで」
そう伝えて、撮影当日。
現場に届いた発泡スチロールの箱を開けた。
……ん?……あれ?
海老が、妙に小さい。
嫌な予感がしてサイズを確認すると、なんと指定サイズのほぼ半分であった。
クライマックスで、どーんと画面いっぱいに映るはずの海老天が、
どう見ても、ちょっといやかなり遠慮がちである。
思わずつぶやいた。
「こりゃあ、えりゃ〜ちっちゃいなあ」
とはいえ、撮影は待ってくれない。
映画の料理は、味よりもまず「見え方」である。
そこで、少しばかり細工をすることにした。
海老は筋を丁寧に切り、まっすぐに伸ばして、平たく幅を出すように叩く。
この海老にもう一本、尾を取った海老を楊枝でつなげる。
衣は少し重めにして、花を咲かせるように広げて揚げる。
そして丼に盛るとき、海老をほんの少し手前に起こす。
カメラが一番きれいに見える角度に合わせて。
するとどうだろう。
さっきまで控えめに見えていた海老が、
ちゃんと「主役の海老天」に見えてくる。
そして撮影本番。
「よぉーい……ハイ」
老いたそば屋の店主が、湯気の立つどんぶりをドンと置く。
カメラが寄る。
モニターに映った海老天は――
ちゃんと立派な一本になっていた。
私は海老を楊枝で、つなげることを「〇〇〇〇する」といっている。
セッシュウするから、連想して名付けた自分だけの用語だ。
実は、この〇〇〇〇には、今や創業百年を超す、とある老舗の店名が入る。
さて、そのわけは・・・・・・
これは昔、出入りの業者さんから聞いた話である。
とある店でのこと。
昼の仕込みに追われながら海老をさばいていた若い衆が、勢い余って海老をちぎってしまった。
「叱られる!」その言葉が一瞬、彼の脳裏をよぎった。
そこで思いついたのが苦肉の策。ちぎれた海老に楊枝を刺し、揚がったところでそっと抜いてしまえば分からないだろう――という、いわば失敗隠蔽作戦である。
やがて忙しかった昼の営業も終わりかけた頃、ひとりの中年の紳士が手招きをして店の人を呼んだ。
「何か御用でしょうか」
見ると、食べかけの天ぷらそばが目の前にある。
紳士は苦笑しながら言った。
「うん。ここの海老は新鮮だ……骨がある」
紳士の手のひらには、欠け落ちた差し歯が載っていた。
この話を聞いたとき、私は思わず大笑いしてしまった。
「ずいぶん粋なお客さんですね。でも、それ本当の話なんですか?」
「いや、この前その店のご店主から聞いたんだ。本当だよ」
「どこの店ですか。ぜひ教えてください」
「ほら、有名な○○○○だよ」
以来、私は海老に楊枝を刺してつなげることを、冗談まじりに「○○○○する」と、いうようになった。あくまで個人的にだけれど。
もっとも、このお店の名誉のために付け加えておくと、これは若い衆の失敗隠蔽工作による一件であって、店そのものの品位とはまったく関係がない。念のため。
気がつくと、三回続けて同じ人と同じ卓に座っていた。
懇親会というのは不思議なもので、指定された席に座っているだけなのに、妙に同じ顔ぶれに当たることがある。
その方は、私とは同世代の、東京にある老舗そば店のの三代目。
ありがたいことに、東京の組合で製作した講習DVDなどで私のことを知ってくださっているらしい。顎髭がよく似合う、ひょうひょうとして温厚な人柄。
いかにも三代目、という雰囲気の方だ。ただ、その日の卓は旧知の仲というわけでもない顔ぶれだった。
少し場を和ませようと、酒の勢いも手伝って、ついサービス精神が顔を出した。そこで、例の話をしてしまった。
そう、「海老に骨がある話」である。
これが思いのほか受けた。
「それ、粋な話だね」と周りは大笑い。場の空気もいい具合にほぐれた。
ところが、そのとき三代目がふと聞いてきた。
「それ、どこの店?」
しまった、と思ったときにはもう遅い。
目の前にいる三代目に、今まさに自分が話している店のことを聞かれているのだ。
「え〜と……」
だが、ここはもう酔った勢いである。
「それは、○○○○さん。お宅の店です」
すると三代目、それはもう見事な大笑いだった。
腹を抱えて笑ってくれたので、結果オーライということになった。
さて、ここまで読めば「○○○○する」がどの店か気になるだろう。
ヒントは「○○○み」。わかるかなぁ?わかんないだろうなぁ。
――これは、昔の芸人、松鶴家千とせのギャグ。もっとも、いまどきこの名前を知っている人が、いるのかなぁ?いないんじゃないかなぁ。
もしも、あなたが「○○○み」のお店がわかったとしても、私の為に是非とも、知らんふりして頂けることを、切に願う次第である。
著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。