そば道具夢物語/私の愛した「そば包丁」達

大工仕事はしないけれど、カンナやノミを見るのが好き。髪を切って貰うハサミや、仕事柄で調理器具や、一緒の仕事が多い写真家の撮影機材が好き。使えないけれど洋裁のミシンも物差しも好き。人や物を運ぶ道具として車も好き。表現手段の楽器が好き。机の上にあるペンが好き。これ皆、道具。

思いを込めて大切に作られた本物の道具は、 何十年の時を経ても朽ちることなくそばを打つことを助け続けてくれます。 何よりも、そば道具はそばの出来具合を決める重要な位置を占めています。私がそばを切るのではなく、包丁がそばを切ってくれている感覚。その包丁達に感謝を込めて、私の大切なそば切り包丁の一部だけですが、そのいくつかをご紹介致します。

この包丁は師匠の使っていたもので、昭和三十年代初期に作られたと思われます。柄の部分には鮫皮が貼ってあり、文字が浮き彫りされています。
先端が上部に振ってあり、柄のなかご(柄が付く握りの部分)が、小さく出来ているのが特徴です。少し、武骨さもあり野武士の様な雰囲気。私の知り合いの越前打ち刃物の伝統工芸士の方が、以前に私の師匠と会われた時、「鎚跡のあるような手作り感のある包丁が良いですね」と言われたそうです。私としてはすっきりとセンターの通った薄手の軽いスマートな物が理想的なそば包丁と考えていたので、これは少し意外な感じがしました。この包丁を譲って頂いた頃は、何とも思わなかったのですが、もしかしたら、歴史的な品物なのかなと押入れの中から取り出して、考えている私でもあります。

一尺二寸(36cm/885g)






これは、45年前に私が初めて手に入れた物。「初恋のそば切り包丁」。
現在は、そば打ちを趣味にする方が増え、そば包丁はそば道具専門店やネットで高品質の物が、比較的安価で購入出来るようになりました。昔は、中華包丁をそば包丁と混同して、デパートの催事で売っていたのを見た事もありました。

私がそばの世界に入った当時、そば切り包丁はなかなか売っていなくて、修業仲間に紹介してもらい、やっと手に入れた物。届いた時は、うれしくてそれは大切にしていた思い出があります。今、改めて見てみれば、何やら 鍬や鎌みたいでほとんど農具に近い感じがします。まぁ、そこが愛しいんですけれど。でも、やっぱりブッサイクやね。

一尺一寸(925g)




上の包丁とごつさ比べです。同じごつさでもテイストが違います。



私が長年、愛用し続けているそば包丁です。ずっと以前に初めて、他所の店を手伝いに行く前日に、師匠が「どうせロクな包丁はもっていないだろう」と授けてくれた物です。そのままずっと使っていましたが、30年ほど前にナイフの雑誌を見ていて思い付き、二ヶ月がかりでミラーフィニッシュ(鏡面仕上げ)に仕上げました。当時は、そば切り包丁を鏡面仕上げにしている人はほとんどいなくて、珍しがられたりしました。「こいつ」は結構有名でいろいろなところに登場しています。江戸ソバリエの初期の本にも掲載されていましたし(私は掲載されていないんだなぁ)、十数年前、『華麗なる包丁の舞い』とか言ってヒラヒラと包丁を動かしてそば切りをしているのが、ネットで動画が流れていた事も。



人生うまく行っている時も、くすぶっている時も、いつも一緒に過ごして来たのがこいつです。たとえ、他に百本のそば包丁があろうとも、俺はお前を選ぶ、お前とは絶対に別れられない、ただ『そば』に居てくれるだけでいい、そんな思い。 これからもずっとそば打ちの相方です。

一尺二寸(白紙二号鋼/680g)




最初の本の出版記念を兼ねて、カスタムナイフの感性を持ったそば切り包丁を打って下さいとお願いして特別に作ってもらいました。越前・高村刃物製作所作。今や、高村刃物製作所は『世界の高村』と言われるほど有名になりました。





部分的に鏡面仕上げにしてもらい、握りをナイフ柄の素材で作る予定でしたが、そのままで、今日に至っています。

一尺二寸(ステンレス粉末ハイス多層鋼/700g)




この黒い物体は、仕上げの刃付けをしていない包丁(の素?)です。
このブログの先頭に出ている包丁と一緒に頂いた物で、おそらく私が想像するに、前述の「鎚跡のある素朴な包丁」に答えるために、試作段階で送られた物の様です。重戦車!とにかくでかい!37cmあります。980gあります。ここから10%削っていっても880gぐらいになるかなと思います。スタンダードな一尺二寸の包丁と並べてみると先端をかなり高く振ってあるのか分かります。



なかご尻は台形。峰は先に行くほど極端に細くなっています。これに刃付けして磨きをかけて仕上げたら、面白い包丁が出来そうと思いつつ、ずっと放っておいてます。



押入れに眠っていたこの包丁を、すっかり忘れていました。これから時間を作って仕上げていきます。ここ十数年、時間に追われてすっかり、そば道具との関わり合いを逸してしまいました。そうこうしている間に年を取ってしまいました。ただ、少し時間に余裕が出来た今、何年振りにそば道具の楽しみが蘇りそうです。『道具心に火をつけろ!』原点のそば道具の世界に戻れ、初心忘れる事なかれという暗示なのでしょうね。

一尺二寸(白紙二号鋼/710g/柄無し)




これは、おまけのうどん切り包丁。うどんを手駒で切る時に使っていた『菓子切り包丁』です。30年前に築地で買い求めた折に、店のおやじさんが「菓子切りを売るのは、何年振りだろう」と言っていたのが思い出されます。これとは別に、うどんの手駒切り用に「くわ切り包丁」も使っていた事もあります。お蚕さんのくわの葉を切る為の包丁で、先端の尖りを落とした形です。



「そばを切る時には、どこを見ているのですか」と、以前は良く聞かれました。
「さぁて、強いて言えば刃の先端を見ているが、実はどこも見ていない、見てはいけない、見ては心が乱れるだけ、心の眼で見る」などと宮本武蔵みたいな事をカッコつけて答えていたものです。



実は、その頃に目の具合が良く無い感じがして、愚痴っていたところ、それを見かねた知人の紹介で、大学病院の眼科に行きました。診察結果は単に加齢による衰えとの事。どこも見てないはずの「切り」、自分では本当は良く見ていたのね。皆様に大変、失礼致しました。
『華麗なる包丁の舞い』ならぬ、もはや『加齢による包丁の迷い』。
だから、これからは何よりも愛する『そば切り包丁様』が頼りでございます。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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