何かの景品でもらったノック式のありふれた単色ボールペン。
コロコロと転がり過ぎる書き心地。そのすべりが私の悪筆を助長させた。普段でも読みにくい字が、さらに読めない。変な話だが、そこが妙に気に入った。文字というより記号のような下手な字。自分への言い訳をこのペンがしてくれる。そんな気がして、ペン立てに刺さっている他のペンの出番はなくなり、このボールペンだけを使うようになった。普段は机上に置いてあり、外出時にはバックにポイっと投げ入れて持って行く愛用品だ。とは言っても、所詮は安い景品だから、さほど大切に思ってもいなかったのだろう。気が付いたらペンを無くしていた。メモを取ろうと手を伸ばしたら、いつもの場所にペンが無い。机廻りとバックの中、自宅の思い当たる場所を探がしたが見つからない。恐らく他所に忘れてきてしまったらしい。ペンは行方知れずになった。また今度、もらえば良いさと思ったが、どこでもらったのか記憶が曖昧。ならば文具店で買えるだろうと考えもしたが、安価な外見のあのペンはまず扱ってはいないだろう。だからもう、欲しくても買えないでいる。
ガシャーン。昨晩の余ったおかずを冷蔵庫から取り出した時に、皿を落とした。
見事なくらい粉々に割れた。今朝の事だ。三十五年前、妻の親友から結婚記念に贈られた、ひなげし絵柄の素朴な益子焼きの角皿。何と言ってもこの皿は大きさが使いやすく、ほぼ毎日、冷奴だの焼いた鰯、焼売やサラダ、煮しめから生姜焼きなどなど、ありとあらゆる実に様々なおかずを乗せて、我が家の食卓に登場してくれた。割れた皿の破片を集めながら、昔の記憶が一瞬で広がっていた。この皿を贈られた頃のまだ若かった私と妻。二人だけの暮らし。この皿の上には、まだ稚拙だった妻の料理があった。それから数年後に生まれた娘が今はもう、その頃の妻の歳をはるかに超えている。時が長いとは少しも感じない。実にあっという間に時が過ぎた気がする。三十五年の間、始め二人だけだった食卓に家族が一人増え、もう一人増え、猫も増えを食卓で我が家族を見てきた皿が、今は再び二人だけになった私達を見始めた所だった。破片を紙に包み、捨てようとした瞬間、明日からはもうこの皿が、我が家の食卓に登る事はないのだという実感が湧いて来た。胸が締め付けられるとはこの事だ。日常使いの慣れ親しんだ皿。共に過ごした数えきれない食事の時間を想い、割ってしまった事を皿に謝った。
親の代から続いたそば店を昨年、閉じたばかりの知人。
その元店主との話。
「これ冗談では無くね」
冗談好きの彼に似合わず、メガネの奥の眼が少し真剣。「店を辞めた事にひとつだけ後悔があるんよ」
何、何?そばを打てない事?ご贔屓に会えなくなって淋しい?気持ちの張りとか?生きがいが無くなったとか?
「そうじゃなくてシャリッとした天かすが今は食べられなくなった事」
あぁそうか、その気持ちわかるよ、実に良くわかる。私もまったく同じだもの。いつでも有るから、ちょっとすくっては何気にいつでも食べていたもんだよな。で、今は揚げ玉を食べたくなった時、彼はどうしているのか。知りたかったが、それを聞き忘れてしまった。
揚げ玉は天だねに衣の花を咲かす際に、ちらした天衣が鍋の中に広がった細かい衣。
揚げる時に出る衣のカス。だから『天かす』とも言う。天鍋からすくった天かすは、天鍋の脇にある天かす入れの容器に入れる。天ぷらを揚げる度に出るので、次第にこんもりと山になる。量がたまれば少しだけ残してゴミ箱へ捨てる。少し残した揚げ玉は、たぬきそばや自分達の賄いに使う。賄いでは、つゆに入れたり、そばにかけたり。ご飯が食べたい時は、定番の天丼・カツ丼・親子丼と行きたい所だけれど、これらの丼ものは商品で、賄いでいつも食べるわけにはいかない。それではと、天ぷらの副産物の揚げ玉を丼ものにする。積み上がった揚げ玉山の頂きにそそり立つ、すくったばかりの天かす岳。上にあるから油が切れて、しゃりしゃりと針のように尖っている。天かすの一番美味しいところだ。これをすくって、ご飯を盛った丼にたっぷり乗せて、天丼のつゆを掛け回す。これが『たぬき丼』。本当に美味い、基本的に無料の賄いだから尚更、美味いさも一入だ。大晦日は、海老だけを揚げた。この天かすは海老の香りがひときわ高く、特別な美味しさがあった。賄いの揚げ玉は哀愁の味がした。
毎日、余るほど出る揚げ玉。捨てていた揚げ玉。それを私は今、デパ地下の天ぷら店で買っている。小さな弁当パックに入った揚げ玉は、そこそこの値段がする。ふと、自分はお金をゴミ箱に捨てていたような錯覚をする。
日常の何気ない身近な存在は、失った後にやっと大切さに気がつく。
もう買えないボールペン、三十五年の割れた皿。もう買うしかない揚げ玉。そればかりではない。永遠だと思っていた若さや、過ぎ去ってしまった時間、そして、もう会えなくなった身近な人々。全てがそうだ。
自分に問いてみる、失くし物は何ですか。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。