早歯にひびく蒸籠かな/そばが冷たい

その時、私は客席と厨房の間にあるデシャップ(配膳台)に居ました。客席から上がってくる注文を一旦整理して、効率よく厨房スタッフに伝える役目の『通し』をやっていました。『花番』(接客係)が、「○席のお客さんからそばが冷たくて噛めないので茹で直して」と言われたと、出した田舎せいろのそばを持ってきました。暖簾をめくって客席を覗いてみると○席には年配の女性。「そう、それならもう一度作り直させるよ」と、厨房に声をかけます。「田舎、急ぎで一枚、これ良く殺して」。何やら物騒ですけれど、殺すは柔らかく茹でると言う意味の隠語なのです。人には聞こえないように気をつけて、「冷たいっていったって、噛めないこたぁないだろうに・・ったく」小さな声で悪たれをつぶやいたのを覚えています。この報復がその後、三十数年の時を隔て我が身に起こるとは、その時は夢にも思わずに・・・

少し寒くなり出した11月中旬のこと。久しぶりに立ち寄った店で『せいろそば』を注文。運ばれてきたそばはキリッと角が立って見栄えが良い仕上がりです。先ずはそばだけをつゆにつけずに、ツルッといきました。口に入ったそばを奥歯で噛みしめた途端、「痛ぁ〜しみる〜ぅ」声には出さなかったけれど、思いきり顔をしかめてしまったくらい。そばが冷めた過ぎ。歯に沁みて口が閉じられない情けない状態です。「どうかしたの?」同席していた人に聞かれました。「ふぁねぃひみらお」と言うのがやっと。これを通訳すれば「歯に沁みたの」。

冷たいそばのシャキッとしまった口当たり。歯が丈夫ならばその歯応えの良さを、好ましい食感と感じるでしょう。「そばがしっかりと冷やしてあって美味しい」と、評価されるのをよく見かけるけれど、これはちょっと疑問ありです。夏のそうめんや冷麦ならギンギンに冷えている方が、確かにおいしいと思う。けれども、そばは冷やせばうまいと言う物ではないと思います。冷やし過ぎると冷たさに隠れて味が引っこんでしまうような感じ。香りと風味もどこかいまひとつ薄くなってしまう。そんな経験をしたことありませんか?

 *食べ物を美味しく感じる温度は、体温のプラスマイナス25℃だそうです。体温が37℃とすると、温かい食べ物は62℃以上、冷たい食べ物は12℃以下ということになる。これにはただしが付いて、70℃以上5℃以下になると感覚が麻痺し、味を感じにくくなる。(*三条市福祉保健部健康づくり課 食育推進室H.Pより)

試しに、我が家の水道をしばらく出しっぱなしにして水温を測ってみると、12℃でした。これが1月下旬のこと。この水温なら、氷で冷やした水でそばをしめなくても充分冷たい。それなのに冬でも冷水機の水やボウルに張った冷水で、ガンガン冷やしてそばをしめる。そばは、5℃くらいに冷えているのではないでしょうか。水温が高くなる夏場ならともかく、一年中、同じ作業でそばを冷やしているのでは?と思う店が、結構ありますよ。今は冷水機も普及して、夏の水道から出るぬるい水も程良く冷せます。流しの内側自体が凍るシンクなどのすごい物もあって、年間を通して冷えたそばを提供することが、出来るようになりました。私の場合、そばを冷やす作業をボウルに溜めた水に氷を入れて冷やしていました。ザルに受けたそばをこの水に浸して、そばをしめます。時間は夏場だと「チョ〜〜ン」、春と秋ですと「チョーン」、冬には水が冷たければしめず、しめる時には「チョン」。そばの太さや茹で上がりの状態を見て、しめる時間を調節していました。

冷たい物が歯に沁みるのは、現代人に限ったことではありません。古の昔も、いや昔だからこそ歯の痛みは、歯科医などで治療する術のない時代、深刻な悩みだったに違いありません。ただ、歯の痛む話など、書き記して後世に残すそうと考える人は、恐らく少なかったはず。ところがここに、その稀なるお方がいらっしゃいました。かの有名な『俳聖松尾芭蕉』です。芭蕉が庵を引き払って深川から水路で千住へ上がり、そこから歩いて北上するみちのくの旅に出たのは、1689年(貞享三年)春、芭蕉が四十六歳の時でした。5ヶ月間にわたった2400kmの長い旅『奥の細道』。医療に罹れないその頃としてみれば、いつ体調が崩れるかも計り知れない、命を懸けた旅だったことでしょう。長い旅に出る芭蕉の健康状態は、どんな具合だったのか。とても気になるところです。芭蕉は、持病の痔や腹部の疼痛を抱えてこの旅に挑んでいたそうです。

『持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん』持病で苦しまれた様子です。今風に言うと、「死ぬかと思った」って感じですか。

『衰へや 歯に喰いあてし 海苔の砂』歯槽膿漏だったらしいです。この時代は治療も出来なかったでしょう。海苔に付着していた細かな砂をガリッと噛んだ痛みに、歯と自からの衰えとを嘆いていらっしゃる。

『結ぶより 早歯にひびく 泉かな』もう一つ、これも歯です。この句は、奥の細道に旅立つ前に詠まれた説と、道中の那須湯本で詠んだ説があるようで、句の解釈もふた通りあるそうです。

一つは、湧き出ている清流の水を飲もうと手に汲んで(結ぶ)すくうと、口に入れる前に、早くも歯に冷たさが感じられ、潤う気分になるという、快さの解釈。もう一つは、清流の水を手に汲んですくっただけで、歯に沁みるであろう恐らく痛くなるという不快さの解釈。同じ句が取りようによって極端に異なります。そこが俳聖たる所なのでしょうか。私は、後者の歯にビビビと沁みる痛みの予感と感覚を取りたいですね。年齢的にも、こちらの方がいかにもありそうで、親近感を抱いてしまいます。お互いに、冷たさが歯にひびく仲間同士ですから。

私、このところ何故だか身辺に変化が多くて『増減長短』しています。増えたのは、あくびとため息と腹周り。減ったのは髪とやる気と仕事の量。お金は最近に限ったことでは無いから、ここでは除外しておきますけれどね。短くなったのは、気と背丈と睡眠時間。長くなったのが、話と眉毛とそして何と『歯』。

歯が長くなるというのは、加齢により歯茎が下がって、歯が長くなったように見えるから。知覚過敏や歯槽膿漏などの歯周病を引き起こす一因。歯を磨く時、鏡を見れば確かに私の歯は、ほんの少し長くなってきたように感じます。こりゃ、沁みるわけです。

『閑けさや 石にしみいる 蝉の声』ならば、『冷たさや 歯にしみいるは 蒸籠そば』これでどうでしょう。

私もいつの日か、芭蕉の足跡をたどり奥の細道を旅してみたいと思います。先ずは、その前に歯医者に行って、治療してからにしますけれど。兎にも角にも、そばの冷やし過ぎには、くれぐれもご注意下さいませ。だって私、まだ歯の治療が終わってませんので。

 著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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