家長の家訓

特に忙しいわけではないのだけれど、日々仕事と休みの境界線がない生活を送っているので、少し時間があると息抜きでふらりと散歩に出かけたりする。
そんな時はたいてい、歩いて数分の所にある図書館と古本屋に行って過ごす。
道々気が付いたのだけれど、ラーメン店の多いこと。
いつの間にこんなに増えたのだろうか。そういえば以前、人に言われた事があった。
彼曰く、私の住んでいる街は都内で有数のラーメン激戦区だそうだ。
腕に覚えのある有名店の店主が、繁盛している店を閉じてまでしてもこの街で新規に開店するとも聞いた。
数えてみると僅か数分の距離にあることあることその数や十五店舗。
表通りだけだから脇道に逸れて数えたら三十店舗を超えているのではないだろうか。
聞き覚えのある有名店もいくつかある。全国区の知名度を誇る店らしく、街のガイドブックや、料理専門誌でこだわりや技術部分の公開記事を見た事がある。
二十年くらい前になるのだろうか『無化調』という言葉を盛んに聞いた。
無化調=化学調味料を使わないと言う意味でそれを売りにしていたラーメン店がたくさんあった。この頃はほとんど聞かなくなったけれど、ラーメン店に無化調が根付いて定番になったのか、贅沢なスープを取るようになって必要が無くなったのか。それとも化学調味料は静かに密やかに生き続けているのだろうか。

 化学調味料・旨味調味料・グルソー・〇〇の素・ハ〇ミ―等様々な呼び方がある。自分の仕事柄、常に原価の問題を抱えている。旨味感を補てんする必要があれば、どうしてもグルソーに頼る場合もある。正直に言って私はこれらの調味料を否定はしない。以前に教室で蕎麦店開業を目指す方々の為に和食の大家(本当の大御所!)に講習をお願いした。手軽に出来る品から少し手間のかかる料理を数品教えて頂いた。大御所がお帰りになった後、受講者の人達から口々に「殆どの料理に〇〇の素を使うのですか?普通なのですか?驚きました」と問われて、答えに詰まって私が使っているわけじゃないと思いつつ、苦い思いをしたことがある。確かにあんなに使うとは知らずにビックリしたのは私も同じだった。こんなこともあった。立ち食いそばの新規開業のためにメニュー開発をしていた時のこと。安価で提供するのが命題だったので業者さんの協力のもと色々な汁を作った。節だけ使った無添加の汁・節を減らしグルソーを少量入れた汁、節を少なくしてグルソーを多く入れた汁。テストキッチンに使っていた厨房機器会社の人達にブラインドテストで食べてもらった。どれが美味しかったですか?と聞けば、半分の人がグルソー多めの汁だと言った。人は馴染んだ味に流れるものだ。これにもまた私はビックリしたし、ガッカリもしつつ安価な汁で価格のハードルを越えられそうなことに安堵もした。反面、現実が切なかった。

 あなたのお家に何かしらの『家訓』がありますか?
〇〇はこうあれ、〇〇はするなかれ、〇〇には気を付けろ、などなどの代々その家に伝わる教えや戒め。他所の家にそれぞれ家訓なる物があるのかは知らないけれど、我が家にはただ一つの家訓がある。『この家で化学調味料は使うことなかれ』これが我が家の家訓。「使うことなかれ」使うなと強い言い方ではなく「使わないでちょうだいね、お願いだから」が本当のところ。当時の父はほぼ毎夜の宴席があって、出てくる料理は豪華なれども化学調味料が必ず使われていたのだと思う。その味がどうにも舌にまとわりついて気持ちが悪く、いつまでも口の中に残ると言っていた。味覚的なことより体質的なこともあったのだろうがひとたび「化調」を感じるとお腹を壊していたらしい。昭和40年代のことである。まさに「化調」が大全盛の時代。その頃は家庭でも味噌汁から刺身や海苔のつけ醤油から漬物までありとあらゆる物に振りかけていた。今で言えば都市伝説の様な話だが「化調」を使うと頭が良くなるとも言われていた。そんなある日、父の妹が我が家で食事をしていった。後日、私が祖父の家にいった折に、その叔母が「お兄さんの家は〇〇の素を使わないから、料理が美味しくないと」と言っているのを聞いて、子供心に傷ついた覚えがある。
祖父の家では当然の如く化調を使っていたのだから、やはりこの家訓は父の懇願から発生した母へのお願いが我が家の『家長の家訓』になった様だ。

 母が台所でカッカッカッとかつお節を削っている。それが毎日の朝の音だった。結構な量を削っていたが、四分の三は朝の味噌汁やその日の料理に使う出汁用に。残りの四分の一は飼っていた黒猫二匹の「猫まんま」用。この「猫まんま」の味を知ってしまったのが私の愛犬でコリーのジョニ。盗み食いしているところを猫達にみつかり「シャー!」と威嚇されると後退りしながら、ほうほうの体で逃げていた。彼はドッグフードだけで育って来たのだけれど、次第にドッグフードを好まなくなり結局「猫まんま」が常食になった。思えば彼こそが「本物の味」を知ったグルメだったのかもしれない。
 家訓は別の意味合いを持って嫁である妻に引き継がれていった。但し、こちらは思想的無化調派。子供達には本当の食と味を食べさせたいし知ってほしいとの願いでの事。それ故その後も我が家には相変わらず化学調味料は存在し無かった。その子供の娘も大人になり、今は子を持つ娘が愛用のカツオ節削り器で離乳食を始めたばかりの我が子の為にカッカッカッと本枯れかつお節を削っている。「三つ子の魂と味覚は百までだから今のうちから本当の味を教えたい」と娘が言う。なるほど仰せのとおりだな。

父が亡くなり、母も亡くなった現在、さすがに家訓の存在も薄れたかと思いきや、まだしっかりと『化調の家訓』いや『家長の家訓』は生きている様だ。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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