知人の本棚にあった古い雑誌。
何気なく手に取り、偶然、開いた雑誌の1ページ。
ページをめくった瞬間に、見たこともない純白のそばに魅せられた私。その時から、人生の伴侶となったそばの世界にのめりこんでいく事になりました。きっかけとなったのが、まさにこの『さらしなの生一本』。
このコラムでは、気軽に楽しくそばやつゆ等の話をしようと、専門的な技術や具体的なそば打ちは、取り扱う事をしない方針でした。けれど、こんなそばがあるのだと、そば好きの方々に知って頂きたいとの考えもあり、敢えてそば打ちの工程を写真にて、見て頂きたく思います。
様々な材料を生地に打ち込む、季節の『変わりそば』。通常のそばとは、異なった打ち方をするので手間がかかる反面、変化があってそばの打ち手にとっては、また一つの楽しみとしての存在感があるそばでもあります。
変わりそばは、主に「さらしな」の白さを「素のキャンパス」に見立てる様にして、それぞれの食材の持つ色や香りや風味を活かして打ちます。通常のそば粉本来の味や香りより、打ち込んだ素材を味わうそばになります。
いくつかの変わりそばは、今後の記事で気軽にご紹介する予定です。
その前に、基本になる大切な、さらしなそばのお話をしましょう。「さらしなそばとは、一体どんなそばなのか?」
江戸の頃に、庶民の食べている甘皮や夾雑物が入った「黒いそば」とは異なり『御前あく抜き』として、高貴な方々が食されていた、きれいで繊細な真っ白なそばです。
「さらしなそば」は、そばの実の中心部にあるでんぷん質を主体とする、内層部を取り出し、篩い分けてさっと挽いた『さらしな粉』を用いて打ちます。
このさらしな粉は別名を『御膳粉』または『御前粉』とも言い、『更科粉』と表記もします。
そばのでんぷん質は粘りが少なく、とてもつながりにくいので、熱湯を加えて粉の一部を煮溶かして、でんぷんを「糊化=α化」させて生地に仕立てていきます。通常は、この更科粉につなぎの小麦粉を混ぜて打ち、そのまま打てば白い「さらしなそば」になります。練り上げる途中で、様々な材料を加えれば「変わりそば」になります。
特につなぎを使わず、さらしな粉だけで打つ『さらしなの生一本(さらしな粉の十割そば)』は、打つことが至難の技とされ、長い間、非常に難しいそばと言われていました。さぁ、そこで先ず打ち方を説明していきますので、理解していって下さい。
ここでは、つなぎは加え無い、さらしな粉だけで作る「生一本」の打ち方を、順を追って見て行きましょう。
粉の計量→想定加水量に10%の蒸発分を足してから、充分に沸騰させます。
沸騰した湯を直ぐ粉にかけます。一部がのりの様な状態になります。
火傷をしない様にしゃもじを使い、熱いうちに、全体に湯を手早く廻します。
少し冷めた頃合いで、粉を転がすようにして1〜3cmくらいの塊にします。
冷まし。団扇等を使い風を当て、熱を取っていきます。気化熱による蒸発を防ぐための工程で、時間がかかります。
ここで、しっかり冷まさないと後に麺体を延す時に、乾燥してしまいます。
手を平くして、圧を加えて水分の吸水を促しながらまとめていきます。
少ししっとりしてきたら、一つにまとめます。
さぁ、ここからが難所の「ちぎり練り」。体力使います。
全身の体重をかけて、生地を千切り延ばしながら練り込んで行きます。重労働!体力勝負!上手に体重を乗せられないと疲れるばかりです。
生地が柔らかくなって、手指に粘り出してピチャピチャと音がしたら練り上がりです。
木鉢作業の仕上げ。きれいにくくります。ここをしっかり決めないと後々、生地が割れ易くなります。
手で薄くしていく最初の作業。地延し・基礎延し・つぶしと言います。
端の割れを防ぐために、側面に指を当ててヒビを抑えながら慎重につぶしていきます。
丸出し。先端を潰さないように気をつけながら、丸を大きくしていきます。
大きな丸になった生地。気を付けながら進めても、さらしな生一本ならではの側面にヒビが生じています。この時点で生地には弾力が無く、既にもろさを感じます。
丸から四角。四つ出し完了。
本延し。とても、もろい生地ですので、ちまちまと慎重に延しを進めます。
まとめながら、修正しながら、手・目・耳の全神経を集中。花が咲き出した部分には、特に注意が必要です。
(花が咲く=端の部分が割れて切れてくる状態)
延し終えた生地をたたみ、全体の1/3のところを切ります。さらしな生一本は、指を当てただけで、ハラリと切れくらいのもろさです。
切り取った1/3を重ね3枚にします。
さらに2回折って、12枚の厚さにします。
極力細く切ります。でんぷん質が口内に入った時に、甘みを感じ易くするために、麺一本の表面積が大きくなる様に細くするのです。ただし、麺としての食感と存在感を維持できる範囲で。ただ、細く切るだけなら手馴れた作業ですので、さほど難しくはありません。
持ち上げずに俎の上を滑らせてながら、生舟に移します。
さらしな生一本を打つために作られた俎を使いました。
俎の片端を、緩く曲線に落としてあります。
さらしなそばの生一本(さらしな粉十割)
このそばを口に含むと、ほのかな甘味を感じます。
こちらは、普通のさらしなそば(さらしな粉8:小麦粉2)。少し、白色がくすみます。
江戸時代、狂歌師の蜀山人こと『大田南畝』が、今の東京・日野近辺で「白髪のような細いそばを食した」との記述があるそうで、そのそばは恐らく「さらしなそば」だったのではないかと言われています。
この大田南畝の作に「世の中の 色と酒とが敵(かたき)なり どうぞ敵に めぐりあいたい」
と、有名な笑える歌があります。また、
「世の中は われより先に用のある 人の足跡 橋の上の霜」
と言う泣ける歌もあります。
冬の朝、まだ夜が明けないうちに家を出る。世の中で一番大変な思いをしているであろう自分を思う。ふと、これから渡ろうとしている橋の上を見れば、そこにはすでに、霜が踏まれた足跡がある。努力していると思っている自分より、もっと努力している人がいる。自分より、さらに大変な思いをしている人がいる。
自身に対する自警の念。 見習いたいものですね。
さらしなそばを食べた時にでも、ぜひ思い出してください。
いやいや、本当に役立つ講座になりました。我ながら、実に努力していますね。自慢したい位に大変な思いでやってま・・・(だからそれが橋の上のだろって!)あっ、そうでした。そうでございますね、はい、自分を戒めます。
「夜の中に 呑んで騒いで午前様 隣近所に 恥をさらしな」
自作かって?それにしても・・・・ふぅ〜
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現在、私はさらしな系のそば打ちに関して、この打ち方は行っておりません。木鉢作業を一切やらない、手間がかからず、短時間で行える自分流の方式を採用しています。ただし、写真のくくりから後は、従来通りの打ち方です。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。