所用で訪れた地方の街。軽く昼食を、と入ったそば店でのこと。初めて入る店だ。
隣の席の若いカップルの男性が、「汁が足りない」と花番さん(接客係)に文句を言っている。見ると、そば猪口の中にはそばがぎっしり詰め込まれている。(そりゃ、汁全部吸っちゃうわな)と思わず心の中でツッコミを入れる。
私は興味津々で、店側の返事に耳を澄ませた。
花番さんはそっけなく、「汁と薬味の追加は、お代を頂いておりますが、よろしいですか」と返す。
カップルはしぶしぶ追加を頼むも、互いの顔を見合わせ、声には出さず「ケチ」と口を動かしてうなずき合う。うどんチェーンやファミレスの“なんでもサービス”に慣れた世代だ。(でも、ケチっているわけじゃないんだよ)と、私は心の中で呟いた。
「スニーカーが欲しいのだけど。渋い色合いのを見つけたから」と私。
「また?あなた、ろくに歩きもしないのに何足も靴ばかり……」と妻が呆れる。
気になっていた中古スニーカーを探しにリサイクルショップへ向かった。
店内に雑然と置かれている雑貨品。その中に、蹲踞(つくばい)を模した鋳物が目についた。あぁこれは知っている。形状から灰皿に使うと思われる五百八十円也の品。買う気もないが、そこに記された文字に気持ちが引っかかった。京都・龍安寺の手水鉢には『吾唯足知(われただたるをしる)』の四字が刻まれている。中央の水穴を「口」と見立て、『五』『隹』『疋』『矢』を組み合わせることで「吾・唯・足・知」となる。
『足るを知る者は心安らぎ、知らぬ者は富んでも貧しい』――釈迦の言葉が由来だという。
それでも人間の欲は尽きない。靴―一つあれば足りるとは言わないが、あればあるほど心が満たされるように感じてしまう。
物欲という煩悩に縛られた私にとって、「足るを知る」道は、まだ遠い。
もりそば・せいろ一枚に提供される汁の量をご存知だろうか?
『汁』の量は店によってさまざまだが、概ね六〇〜九〇ミリリットルほど。本来、この量があれば、もりそば・せいろ一枚を食べ終えるのに充分なはずだ。ところが、中にはそばをどっぷり汁につけ、かき回して食べる御仁も少なくない。
汁が足りなくなれば、追加をお願いすることもあるだろう。しかし、この追加は果たして無料なのだろうか。近年、そば粉に比べても急激に上がる食材費の中で、汁には手間とコストがかかる。薬味も同様だ。追加となれば、料金をいただくのが当然である。コーヒーショップのガムシロップやミルクと同等に扱うのは、ここでは当てはまらない。
そばの食べ方を云々言うつもりは毛頭ないが、私なら七〇ミリリットルのそば汁の半分も使わない。そばを食べ終えた猪口にそば湯を注ぎ、残った徳利の汁を少しずつ足しては、味の移ろいを楽しむ。
それでも徳利には、まだ半分ほどの汁が残っている。
煩悩多き私も、そば汁に関しては七〇ミリリットルで足るを知る──まさに“足るを『汁(しる)』”という平安であろうか。
この世に生まれ出て、まだ数年。ようやく自我が芽生え始めた子供にも、物への欲はある。自我が芽生えること自体が、欲望の始まりなのだろう。
我が孫はドーナツが大好きで、一つ与えても「もっといっぱい」と、両の手に二つのドーナツを持たなければ満足しない。
彼もまた、足ることを知らぬ齢二歳九か月の、愛すべき小さな煩悩のかたまりだ。
まだそばを食べさせていない彼。
もう少し大きくなったら、そっと寄り添いながら、上手なそばの食べ方を教えてやりたい。
汁をほんの少しだけ猪口に注ぎ、香りを確かめるようにそばをくぐらせて――。
「ジィチャン、お汁もっとたくさん入れてよ。ケチ!」
足ることをまだ知らぬ幼子に、そんなふうに言われるかもしれないが。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。