フィレンツェでそばを打つ/宮殿のそば会 Ⅲ

さぁーいよいよ宮殿の「そば会」も当日を迎え午後5時、お客様が集まり出した。

先ずはそば茶で、喉を潤して頂く。

その頃、私は厨房で準備に追われていた。ちょっとばかりパニクって。

会の始まりに「お歳のわりに若く見えるでしょ」と主催者の福井順子代表から、お客様にご紹介を頂いた。
「それは良い人生を送って来たからだよ」と皆さんが言って下さった。こちらではそう言うらしい。良い人生か。好き勝手にやって来ただけだけれども、そうだな良い人生を過ごして来たのかな。その御言葉は、大切に受け止めて素直に感謝。ありがとうございます。

さぁ、いよいよそば打ち。数種のそばは予め打ってあるので気は楽。ただし時間制限ありの条件。シャッシャと進めることだけを考えつつ、そば打ち工程の説明をしながらお顔はニコニコと。

小さい1.2kg玉にして、お約束の15分で打ち終わり。15分以上は飽きて見ないとは言われていたけれど、1時間くらいやっても見て下さりそうだった。ただし、1時間もやりたくないのは私の方。絶対飽きちゃう。

ひとまず、着席して暫しお待ち頂く。

本日の料理とお酒の御説明。

日本酒ソルベをが初めの一品。時間を稼いでいるその間にそば寿司と卵焼きの盛り付け。

そばと共にこの会のテーマは「日本酒」。イタリアで日本酒を広める、多くの方に知って頂く。

名誉唎酒師酒匠の『手嶋麻記子先生』大活躍です。
今回の会を大いに盛り上げて下さいました。

お客様は、そば切りも日本酒も殆どの方が初めてだった。

 揚げそばの餡掛け。

大葉切りのバジルオイル和え。冷たいパスタは、普通あまり食べないと聞いていたけれど、これは大好評。

椎茸のそばつゆ返し焼き。鴨をそばつゆの素の返しで焼く予定だった。現地で市場を廻っても季節的に鴨が手に入らないので、付け合わせる予定の椎茸を丸ごと一個にするしかなかった。皮肉にもこれが、この日の料理で一番受けていたそうだ。甘塩っぱいそばつゆの素が、日本的な味覚を感じさせたのか。山葵をたっぷり添えたからなのか?

そばつゆの素の返しに漬けた卵の黄身と揚げたそば米を振りかけたぶっかけスタイルのそば。

皆さん全て完食して下さった。

最後にご挨拶。無事終わってホッとした瞬間。お客様ありがとう御座いました。

翌々日は、主催者様のご自宅でご友人達参加の「そば打ちワークショップ」。敷地400坪はあろうかと思う邸宅の地下室を使って、20名ほどの会になった。

パスタで馴染みがあるから、皆さん上手にそばを打つ。

街中で出会ったピノキオ君、一緒に日本帰らないかい。

思えばこの「宮殿のそば会」を取り仕切ったのは、きっかけから終わりまで全て女性陣。女性の持つ強さと柔軟さ、他所の国の言語や風習をしなやかに受け入れる逞しさやはり女性は太陽だな。感謝!そこへ行くと男の私なんぞ、何も出来ずにオロオロしていただけだった。ワクワクしながらのそば会も終わり、数日間観光をして楽しんだ。来年も来てくれとのありがたいお言葉も頂き、その際はまた宮殿と禅寺でそば会を開きましょうと言う事になった。あいにく次の年の予定がつかず、翌年の初めにと延期した所、コロナ騒動になりそのままにまってしまったことが、今ではとても残念だ。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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