もりそば一枚の美学

「ねぇ、背が縮んだ?」
先日、久しぶりに一緒に電車に乗っている時、妻に言われた。
私と妻は同じ身長だが、女性の靴は少しヒール高があるので、必然的に妻の方が高くなる。
その妻の目線が、今度は私の後頭部に注がれ始めた気配を感じる。
きっと次に放たれる予想のつく言葉を聞きたくなかったので、窓外の景色が季節で変わった事に話題を変えた。
そう思えば最近、街を歩いている時や電車の車中でも人が皆、何故か大きいなぁと感じる事が多くなった。と、言うよりも自分が小さくなった気がしていた。
一説によると人間は背が40代を過ぎた頃から、十年間で約1cm縮むそうだ。
確かに私の身長はこの二十数年で2.5cmくらい縮んだ。
ただでさえ少ない身長が、縮んでいくのが虚しく悔やしい。

どうやら、このところの膝痛もその縮みのせいらしい。

1964年の東京オリンピック後に生まれた世代あたりを境に日本人の体躯は、
身長体重共に非常に伸び増えたそうだ。資料を見ると1950年の30代男性の平均身長は、160.3cmで平均体重が55.3kg。2010年の30代男性の平均身長は171.5cmで平均体重が69.6kg2005年をピークに伸びは横ばいだそうで、この2005年の30代が生まれたのが19641975年。まさにオリンピックの後だ。食生活の摂取カロリーと関係しているとの事。
2005年に40代だった私の世代の中でも、少年期に背の低かった私は、牛乳を一日三本飲まされていたけれど、費用対効果が薄かったようだ。
今、私の枯れ始めた体躯と元気旺盛な若者の大きい体躯の違いを思えば、
同じそば一枚を食べた時の満足度が同じはずは無い。無いに決まっている量だ。されど、そば一枚の量は時代を超えても、さほど変わっていない。

昔からそば一人前は、四十匁(もんめ)』と教わってきた。
一匁が3.75g。掛けること40でそば一人前150g。茹でる前の生そばのこの量は、確かにおおかたの店々で平均的な量目だと思われる。茹で上げると220230gくらいになる。
さて、昔からのその昔が寅つぁん八つぁんの時代なのか?それとも明治か大正か昭和の戦前なのか?一体、いつの頃の昔なのかは、はっきりと分からない。
分からないのだが、一つ確実に言える事がある。
この量を器に盛ると姿が貧弱ではなく、盛りのくどさを感じさせない品格が
あり、本当に美しいバランスがある。四十匁の美学である。
だいぶ以前、週刊誌上で有名そば店の『もりそば』をそっと計った記事が

あった。あの店は80gだ、この店は200gあった、と面白がる記事。
無粋の極み。盛りが良いだの少ないなど言うなかれと思った。
そばの量が多かろうが少なかろうが、店々にはそれぞれ己のそばに対する考えや思いがある。

美学なのだ。そば職人にも自ずとそれぞれの美学があるのだから。

親類のT君は、身長181cmで体重68kg。少し細身だけれど大食漢の30歳。
私と二人並んで収まった写真は、まるで戦後に撮られた昭和天皇陛下とマッカーサー元帥の写真の様だ。色々と話をしたい事もあったので、そばでもと昼食を取る事にした。
私はビールと板わさに声かけでせいろ。酒を飲まない彼はせいろ二枚に天付き。少し酔った心地の良さのせいで、私は背が縮んだ話を喋り続けていた。
気が付けば彼の前にはもう、そばが運ばれているが、まだ箸をつけていない。
私の話に相槌を打つために、気遣いと遠慮をして食べるタイミングを逸していたらしい。
「あぁ、話に夢中で気が付かなかった、ごめん食べて食べて」
「それじゃ、お先に頂きます」

彼は固まり始めたそばを少し食べにくそうに、箸で振りながらほぐしている。

『縮む』話ばかりで『恐縮』だったが、そばはすっかりと『のびて』しまった。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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