「たのもぉー!」小さな挑戦者

雨降りの日曜日。

きょうはそば教室も休みで誰も来ないし、この雨じゃ外に出る気もしない。

こんな日は女房と娘達の冷たい視線をよそにひとり、ゆっくり、のんびり、

大好きな朝風呂と朝ビールと決め込んで、あ〜極楽、極楽。

ソファーで気持ち良くまどろんでいると子供の頃の記憶がよみがえる。 

古いインスタントラーメンのCMソングが頭の中を流れてくる。

♪〜雨の降ってる日曜日♪〜 雨の中、泥だらけで泣いている男の子。

「なぜ泣くの?」と歌がやさしく問いかける。その子が答える。

お父さんと一緒にラーメンを食べたいばかりに急いであそこの角で転んでしまったと。40数年前のCM。甘い声で歌っていたのは、ミッキーカーチスだった。

あそこの角で転んで泣いていたその子は 私と同じくらいの年だったから、もう50歳前後かな。私、今では酔っぱらって足がもつれて転んでいる。あそこの角で。この曲はいつも、亡くなった父のことを思い出させる。当時、父が作れる唯一の手料理が即席ラーメンで、どんぶりに麺を入れてお湯をかければ出来上がりの初期のもの。それにもかかわらず得意になって子供達に作ってくれた。あのラーメンの味は忘れたけれど、その時の父のうれしそうな笑顔は今でもおぼろげながら覚えている。

もし あのラーメンが手打ちのそばだったなら、もっと素敵だったろうに。お父さんやおじいさんが一生懸命にそばを打っているその姿を傍らで見ている。打ったそばを子や孫に食べさせる得意げな顔。それがずっとのちに幸せな思い出になる。いいな、そんな光景。こんなことを考えながらウトウトしていたところへ、ピンポーンと玄関のチャイムの音!「誰だよこんな日に」と思いながら玄関に出てみると‥

下の娘の幼稚園時代の同級生「ヨッちゃんじゃないか」弟を引き連れているし、どうしたどうした。

「たのもぉ〜! シオパパ(私のこと)」

「俺にもそばを教えてよ〜」って。

俺の『お』よりも『れぇ』のアクセントが強いよこの子。いゃだね、今風で。「ずっと前からそばの打ち方教えてくれるって言ってたでしょ たのもぉーってお母さんが言えって、ねぇ教えて〜」

上の娘と彼の姉さんも幼稚園の年少さんからのお友達で、この子は赤ん坊のころから知っている。そばっ喰いでそば湯好き。そうか少年の心にもロマンありなんだな。

「こんな雨の日に電車を乗り継いできたのかい、 よしゃ そんなら教えてやるよ」

てなことで急に始まったのが、今回の子供そば打ち。

 まずは木鉢。その横で道具をいたずらしようとした弟を一喝!「触るな!」

次は菊練り。これは本格派だな。

次は延し。なかなか筋がいいじゃん!

畳み。優しく丁寧に。

そして切り大人用のそば包丁なので少し重いかな?

弟君はサウスポー。ティッシュの箱を駒板代わりに使って切りに挑戦中。

茹で上がった自分のそばを手にして満足げなヨッちゃん。

弟君に書かせた『秘伝の手順書』。

 

さて皆さんもヨッちゃんのように、思い出作りにまずは気軽にそば打ちを楽しみませんか。

  

道具は家にあるボウル、箱 、家庭の包丁、すりこぎ等を使って。ちょっとスーパーに走ってそば粉だけは買って下さい。ついでにつなぎ用の小麦粉(中力粉・うどん粉)も。最初ですから良い粉じゃなくても気にしないで。打ち粉は片栗粉で代用できます。つなぎは小麦粉を全体の二割。うまくできないで当たり前。難しく考えずにまずはそばを打ってみましょうよ。雨の降ってる日曜日にでも‥

(この記事はアーカイブで2007年に書いたものです。この少年達も今は大学を卒業して社会人です。 記事中の即席ラーメンのCMソングがTVで流れていた頃からもう60年以上経っているわけです。)

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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