そば打ちの道具と言えば、何を思い浮かべられますか?
朱色の大きな「木鉢」、変わった形の「そば切り包丁」、長い「麺棒」というところでしょうか。
数年前、そばを取り上げたテレビ番組の中で、当時人気の若い料理研究家が、「そばを切る時に当てて使う板みたいな物・・・・」と表現していた位に、名も知られていない道具。
そば打ちをされない方々には、全く名も知らぬ馴染みのない道具だと思います。
ただしもし、そば打ち道具で何が一番重要か?と問われると少し考えてしまうけれど、何を一番大切にしているかと問われれば、私は迷わずに「これ」と答えます。
そばを切る時に包丁に当てて定規の様に使う、使い手との相性と感覚が最も敏感なこの道具。
その名は『駒板』。
まずは駒板の働きについて少し説明しておきましょう。駒板の先端に付いている部分を「枕」と言います。
駒板の枕に包丁を添わせて切り入れます。
駒板を使って切りのイメージです。
そばを置かずにやってみますので、その動きを見てください。
これは、包丁を切り入れたところです。
包丁がまな板についたら、手首を僅かにちょっと寝かせる様にして、駒板をずらします。
この写真の隙間が、次に切るそばの幅になります。
包丁が鏡面仕上げなので、広く見えますが、影の部分の半分の幅になります。
実際は、そばを畳んだそばの上に打粉を施してから駒板置きます。
駒板に手を添えます。この形、「キツネさんの手」なんて呼んでます。
添える手は、こだわら無くても良いと思います。5本指でしっかり押さえても良いし、手の平をぺったり乗せても良いです。
そば打ちを教えているとたまに、この手を複雑にされる方がいます。
何か、それまるで「グワシ」だねって。
切っては手首を少し返して駒板を送って、次の麺線を出していきます。
冒頭に、相性と感覚と言ったのがここです。
包丁を持つ手を傾ける力(アクセル)と、駒板を押さえる手の力(ブレーキ)とのバランス。駒板の滑り具合。枕の高さと大きさ。それで変わる押さえる力。
駒板の材質や、仕上げ、その他諸々の条件で滑り具合 が、微妙に変わってきます。
この駒板は、私の愛用の物。
秋田杉の本体に、ねずこの枕。枕と反り止めを補強している埋め木は無患子(むくろじ)が使われています。作られてから60年以上経っています。
そば生地に直接触れる裏面は、浮造り(うずくり)仕上げ。
木部の春材をささらでかき削り、木目を浮き立たせて滑りを良くします。
この駒板は、お弟子さんが私愛用の駒板のレプリカを作ってくれた物。
同じように、浮作りで仕上げてくれました。
駒板の後ろの部分に、そり止めの「はしばみ」をオリジナルと同じ様に、仕上げてくれてます。
これは、少し変わった駒板です。
そばに置いた時に、生地が見えるようにアクリル板で作られています。
そば生地が見えるので、切りで曲がってしまった時に、早く確認が出来るきる様に工夫された物。
私も以前、駒板はもっと小さくても用が足りのではないかと思い、「ハガキサイズ」の小さな駒板を自作した事がありました。今回、写真を撮りたくて探したのですが中々見つからず、イライラして家人に聞けば「そんな物は切手貼ってポストに入れた」と。それも有り得るそんなサイズ。
こうして、並べてみると駒板も様々で、特に枕の部分はそれぞれ個性的でもあります。駒板一つでも深いなぁと思います。
私は道具にこだわるのをキッパリ止める覚悟で、最近はそば打ちをしてます。包丁や麺棒は人様にお借りする事、全くいとわなくなりました。けれどお借りしたとはいえ、駒板はだけは何でも良いと言うわけにはいきません。滑り具合や材質は、しっかりチェックしてからそばを切り始めます。名も知れぬ道具なれども、駒板はやはり繊細な存在なのです。
その後、40数年の間、そばの切りで手を切った事は、幸いな事にありません。
「絶対飛び越さない」と暗示をかけて切ってますからね。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。