そば道具夢物語/伝説の元祖寄木の俎(まな板)

『俎』(そ)。儀式で神聖な供物を乗せ切る四つの脚がついた調理台。
中国から伝わり、食物を切る『まな板』なったそうです。
そばも食物ですから、これを乗せて切る板の事をまな板または、切り板と呼びます。

このそばを切る板で、通常は生物は切りません。(まぁ切っても良いのでしょうが)水で洗い流す事もありません。残った粉は、手や刷毛で払い落とします。

さぁ〜てさて、本日ここに取りい出したりました何か木目の詰まった一目は一枚の板。

これこそ、そば切り用のまな板と言えば『寄木作りの俎』に極まると、そば切り世界ではまことしやかに謳われております一品。

檜四方柾小口表二千枚を接ぎ合せたまな板に御座います〜る。

小口一枚の幅は約1cm。

 

初めての完成品なのだそうで、とても苦労されたと聞き及んでおります。
昭和31年12月7日は、私より二ヶ月早い御生まれ。『友蕎子』のサイン。

柾目小口を表にする訳を問いた私に師はこのような説明をして下さいました。

「木を柾目に製材(柾目取り)すると木の年輪が縦横に柾目が通る部位がありこれを四方柾と言うのはわかりますか?」
「はい」
「この部分は木の狂いが少なくここを麺棒に仕上げると良い麺棒が出来るのですよ」
「はい」
これが柾目に取った材。

「四方柾の小間を張り合わせて狂いを抑えて、包丁があたる部分にすれば包丁に優しいのです」
「切り株を使う中華料理のまな板みたいなものですか?」
「少し違いますけれど、こう言う事です」

と、タワシを使って説明して下さいました。

板目のまな板に包丁を当てたイメージ。

こちらは、板目の普通のそば切りまな板。

柾目のまな板に包丁を当てたイメージ。

柾目のまな板。

このまな板も寄木作りです。
何でも試作一号との事、とても軽いです。

木の脂が出ていたりして、かなり傷んでいましたが、20年前に今はない浅草『木地や』の椎野匠が、丁寧に手を入れて下さり、綺麗に復元して下さいました。

 完成第一号と試作第一号の小口幅の違いです。

さて、実はこのまな板は既に私の手を離れております。(えー!売っちゃったの!?)
いいえ、私の可愛い最後の内弟子の元にあります。福井の名店の三代目です。

実家の店に帰る時に一緒に行きました。道具は使われてナンボです。大切に使って上げて下さい。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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