そば打ちは『サードプレイス』

最近よく耳にする言葉、けれど意味がわからない言葉。

Z世代

シュリンク
ダイバーシティ
メタバース
ローンチ
まぁ、出て来るわ出て来るわで、調べる気力も無いままに、どうやら私には自分で適当に解釈してしまう癖がある様だ。

Z世代はマジンガー、自分は多分ウルトラマンのU世代と。
ダイバーシティは、お台場に出来た新しい施設と最近まで思い込んでいた。
関わりのあった大手飲食会社の打ち合わせで、シュリンクという言葉が出てくるので、てっきり新しい魚介類の事と、分かった様にうなずいていたりしていた。
メタバースも本気でお腹周りの脂肪を指す言葉と決めていたもの。

ローンチとなると想像をこえてもう、さっぱりだ。

そこへ行くと「サードプレイス」なる言葉。
私には耳新しいのだけれど、これはそのままに理解出来た。
自宅や家庭はファーストプレイスで、自宅以外で長く過ごす場所=職場や学校はセカンドプレイス。
自分を癒やしリラックスさせる場所、それがサードプレイス。仕事帰りに頻繁に立ち寄る馴染みの店とか、仲間で集う趣味の場所。なのだそうで、これは想像通りで安心した。
キーワードは中立性・平等・会話・行きやすさ・常連・安心感・陽気な雰囲気・第二の家。ストレスを無く過ごす、自分らしさの体現や共通の趣味、新たな価値観と人とのつながり、心の豊かさ。

確かに、人はそれぞれにファーストプレイスでもセカンドプレイスでも、責任や義務感のストレスは多いから、何処かに『場所』が必要なのだろう。

これは知人女性の話。
この方は御主人を亡くされた後、東京で家庭を持つ息子さん達の近くで暮らすために、北海道から単身上京して来た。
女性の年齢を言うのは、少し憚れるのだが、私と同い歳で誕生日まで近いから許して頂くとして、還暦を過ぎてからの新天地暮らしに挑んだそうだ。それが五、六年前の事。
その時点で、彼女はそば打ちの経験が無かった。以前から興味があったそば打ちをやりたいと、ネットで「そば打ちが出来る所」を検索して、たまたま辿り着いたのが、私が長年、顧問を務めさせて頂いているそばの会。
そば打ち未経験ながらも、何事にも臆せず、積極的な彼女の性格は、サードプレイスのキーワードに合致するが如く、その会だけに留まらず、伸び伸びと他のそば会や集会に参加し、各々の垣根を越えてそば打ちに邁進した。八面六臂の活躍で、あっと言う間にそば打ち愛好家に知る人の居ない位の存在になった。
今や、アマチュアのそば打ちは大隆盛だ。

その熱心さには舌を巻く。そばを打ち食べ、共に語らう。互いに刺激し合いながら楽しんで集う。そこはまさに癒しがあればこその、価値感が広がって行く世界だ。そば打ちの集いは、絶好のサードプレイスとなっている様だ。

さて、翻って自分の事を思う。
お前にそれはあるのかと?と自問してみる。
仕事はほとんど自宅。自室が職場。少ない趣味は一人同じ自室での読書と孤独な細い工作と楽器を少し演奏するくらい。
サードプレイスどころでは無く、ジャストのワンプレイスである。私にとって、そば打ちやそばに関わる事柄は職業だ。だから何処へ行こうと、悲しいかなそば打ちに癒しや楽しみは、全くとは言わ無いけれど、見い出せ無い。生活を過ごす場所も狭く決まってしまっているから、何とも寂しい限りである。

どこかに場所が必要なのは、自分なのだろうと思えてニンマリしてしまった。

頭の片隅にプレイスという言葉が音に乗って流れて来た。
引っかかっていた気持ちは、これなのか。

「There's a place」初期ビートルズの曲。

♫There is a place where I can go
 僕には行く場所があるんだ

そうだ。ここいらで真剣に『サードプレイス』を探しに行こうか。 

 

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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