
この話はそばをすするおじさんの話だ。おじさんといってもあなたではなく、あなたの夫でも、あなたのお父さんでもない。むかし昔、そばをすすっていたあるおじさんの話である。
以前、NHKで放映していた『映像の世紀』という番組で、日本の明治から戦前までの古い映像をまとめた回があった。酒を飲みながら何の気もなく見ていた番組なので、その回のテーマはうろ覚えで、はっきりしない。ただ見始めて数秒後、ある画面に目が釘付けになった。編笠をかぶった、一見して労働者と思われる皺深いおじさんが、笑顔で何かの「麺」をすすっていた。時間にして、ほんの二秒ほどの映像だった。だが、その二秒が長かった。
私の頭の中では、時間が止まってしまったのである。「今の画像は何だ」
うどんか?いや、ラーメンか?そばなのか。そばにしては少し太かったような気もした。それとも、今では姿を消した別の麺なのか。
番組は次々と歴史を映し出していくのに、私の関心は、たった今通り過ぎた映像の、一杯の麺に置き去りにされたままだった。続きを見ながらも、次のどこかでもう一度、あのおじさんが現れてくれないかと、淡い期待を抱いていた。
けれども、その画面は出てくることも無く番組は終わった。私も気を引かれたわりに酒の酔いもあり、麺を食べている画像のことはその後、あっさりと忘れてしまった。
「東京の三大煮込み、行きましょう」と誘い話をしてきたのは、自称・私のマネージャーを名乗って、仕事の手伝いをしてくれていたTさんだ。
本業は海苔・昆布を扱う小さな会社の経営者である。お酒は決して強くはないのだが、居酒屋の料理と店の空気感が事のほか好きなようで「伝統ある居酒屋」を巡ることには熱心な人だ。そんなTさんが私と並んでよく声をかけるのが、老舗食品会社の営業部長Mさんである。
その誘い文句は、いつも決まっているらしい。私が「しばらくぶりに部長に会いたがっている」と言うのが、Tさん得意技のいつもの”手”で、流石に昆布屋の社長だけあって、しっかり私を出汁にして、M部長に奢っていただく算段なのだ。
M部長さんもお酒は嫌いなほうではないので、ちょこちょこいそいそと出てくる。
さて、いざ出陣と千住駅で待ち合わせて「東京三大煮込み」の居酒屋に向かった。記念に写真をとスマホを向けた暖簾の脇にかかっている、小さな看板がふと私の目を引いた。『車挽きご尊顔を拝し』の文字と手を合わせて、ひざまずく丸みのある編傘をかぶった車夫のおどけた絵。
これは地口(じくち・言葉遊び)で、「麗しき」に「車挽き」をかけているとわかると、洒落っ気に感心して、駄洒落が大好きな私は(これ皆に、嫌われていますけれど)、こちらもスマホに収めた。
煮込みと数杯の大ジョッキで、ほろ酔いの地下鉄の車中。スマホを取り出し、写した小さな看板を眺めていたら、おどけた絵の車夫さんとは、はて?どこかで会った気がした。
しばらく考えていたら、以前TVで見たあの「そばを食べていたおじさん」を思い出した。車挽きの車夫なのだ、そうか!だから編笠をかぶっているのだ。白黒の画面ながら、服装は色合いからして藍染なのか紺色に感じた覚えがある。白い襟なしシャツの上に腹がけをしていたようにも記憶していた。うどんなのかそばなのか判断しかねた麺はおそらく、太打ちのそばではないのだろうか。もしかして、あの車夫のおじさんは、現存する一番古い『そばを食べている動く映像』なのかもしれないと思った。そう考えるながら地下鉄から家のある私鉄の乗り換えホームで電車を待つ間、少しばかり興奮した。
そのせいか酔いも醒めてきた気がした。運よく座れたシートで、こりゃ帰ったら、さっそく調べてみようと考えていた。けれど、気がつけば我が家のある駅を五つも寝過ごしてしまった。
当時は、まだAIが今ほど身近な存在ではなく、『そばをすするおじさん』について調べても、なかなか詳しい情報にはたどり着けなかった。思えばあの日、M部長が間もなく還暦を迎え、定年後も職場には残るものの、部長職を退くと聞いた。部長と私は同い年で、来年は七十になるから、あの千住の居酒屋探訪から、もう十年近くが過ぎたことになる。結局、そのまま時を過ごしてしまっていた。が、今の時代AIに尋ねれば、その由来までたやすく知ることができる。
あの映像は、1902年(明治35年)、フランスのリュミエール兄弟が東京で撮影したものだった。
車夫のおじさんに頼んで、そばをすする様子を撮影したという。そばを食べながら、かぶっていた編笠(饅頭笠というらしい)を手で少し持ち上げる仕草は、撮影に照れていたからだろうか。何とも微笑ましい。
当時、リュミエール兄弟は最新の撮影機材を携えて来日していた。
その時代に同様の映像を撮影できる者はほとんどいなかったことを思えば、この車夫がそばをすする映像は、おそらく現存する最古の「そばを食べる動く映像」なのである。
百二十年以上の時を越えて、一杯のそばをすする姿が、今も私たちに、そばを食べる笑顔を届けてくれている。
そう思うと、『そばをすするおじさん』の、麗しき御尊顔を拝させて頂きと感謝すべきなのは、どうやら私の方だと思った。

著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。21歳でそば打ちの世界に入り、片倉康雄・英晴父子に師事して、そば打ちの基本を学ぶ。その後、手打ちそば教室の主任講師などを務め、2004年に「永山塾」を開塾。長年にわたり研鑽を重ねたそば打ちの技術と、独自のそば料理を多くの人に伝えている。その感性豊かで繊細なそば打ちと、独創的で洗練された幅広いそば料理の指導、さらにユーモアあふれる講習や、軽い語り口によるエッセイが、プロ・アマを問わず多くのファンを魅了している。近年は、そば関連企業とのメニュー開発や個人そば店への技術指導など、多方面で活躍している。
