山葵のつぶやき/そばの薬味


僕は『山葵』です。
ワビもサビも僕の事では無いのは承知。世の中の辛さや甘さも良く分かっています。「つらい」も「からい」も同じ字だって事を知っている位だもの。
去年の台風で川が氾濫して田んぼが壊れて、仲間がすっかり少なくなった。
だから最近、僕がとても貴重で高くなっていると、この前八百屋のおじさんが言っていた。少しだけ偉くなった様な気もしたけれど、その割にお客さんには残されたりする。そんな僕だからこの頃ちょっと考える事があるんだ。
 悩む必要なんか、何も無い事かも知れないけれど、重要な疑問があります。 果たして蕎麦の薬味に僕は必要か?って、ふと思うわけ。もしかしてあってもなくてもどうでもよいのかもしれない。けれども、僕が薬味皿に載っていなければとても寂しい。そして、あってもなくてもどうでもよい僕は自分で言うのもはばかれるけれどとても高価。本当の僕だと高価なゆえに少量しかついてこないので、それこそあっても存在感がない。粉やチューブに身をやつした僕だとべっとり沢山ついてくる事もあるけれど、汁に溶き入れようなら味を壊してしまう。だからそんなもん、あってもなくてもどうでもよい。けれど‥あぁ、

でもやっぱり僕って、あってもなくてもあった方がいいんだよなぁ。たぶん

一年中あるような僕にも旬はありまして、花の咲く頃にはグッと味が落ちてきます。 そんな時期には、あえて僕を薬味に付けることもないのではないかと思ったりもします。僕に花が咲く前の茎をさっと茹でて細かく刻んで薬味につけるのも粋じゃないかのな。蕎麦の薬味としては、やはり僕はおろされて初めて存在感があるのかな。

とても高価な僕ですから、無駄を出さないように葉のついている ほうから、鉛筆を削るように掃除をしてください。包丁のミネを使って黒い部分をこすぎ落とします。

夢中になって掃除をやられ過ぎると身が細る思いがします。
このくらいが、丁度良いです。

 さて ここに取り出しましたる三種類のおろし。手前から鮫皮のわさびおろし・純銅おろし金・純銅 受け網付き(有次製)の面々にてございまする。

それぞれに特徴がありますが、僕が蕎麦の薬味になる時は粗い方が好きなので、鮫皮は使わずに銅のおろし金にアルミ箔を巻いて使うと便利です。こうすると大切な僕がおろし金にひっかからず無駄なく使え掃除も楽です。

僕を色よくきれいにおろすコツ。
先端と尻尾の部分で色が変わってしまうので、両端を交互に降ろして行きます。こうすれば色が平均に緑色になります。こんな小技の仕事をしてほしいのだけれどね。

「銅のおろし金」でおろされた僕と「鮫皮」でおろされた僕を比べてみました。「鮫皮」は滑らかで僕に優しいから、そこが刺身や寿司に合うのでしょう。

おろされた僕を汁に溶き入れず、蕎麦を食べながら合間ににちょっと箸の先につけて舐めるように食べてみてください。食味のアクセント。民謡の合いの手を入れる感じで。はぁ〜チョいなぁ〜チョイ♪

僕を蕎麦につけて食べる方もいるみたい。

蕎麦に薬味は必要ないとおっしゃる方も多いのですが、 薬味は蕎麦の味わいに変化をつけてくれる名脇役。

主役の蕎麦は「寅さん」でお相手役は汁の「マドンナ」。脇役は薬味の大根が「さくら」で「おいちゃん・おばちゃん」が葱ならば、僕は「隣のタコ社長」か「源公」かい?え〜また始まっちゃいますよ。あってもなくてもどうでもいいが。いや、タコ社長や源公がいなければ、寅さん映画も寂しいもんさ。やっぱり僕は、いないと寂しい存在なんだな。絶対

こりゃ効くなぁ、鼻がツンとして涙が出ますよ。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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