かつおのカッカッカ

この夏、40年ぶりに夏の甲子園を全試合見ました。

PLの桑田や清原が活躍していた時以来になりますか。
今回の大会に出場している高校球児達が生まれた年、私は50歳。

彼らのおじいちゃん・おばあちゃんの中には、私と同じ世代の方もいる事でしょう。そう思うと、選手や応援している高校生一人一人が孫のようで、これがまた可愛くて仕方ない。どちらの学校が勝つ負けるではなく、両校とも勝たせたい思いの中、その懸命さとプレーの合間に見せる清しい笑顔に毎試合、涙しながら見てました。歳かな?そうこれはまさに歳なんだろうか。やたらに涙腺がゆるくなったようです。

試合の行方もワクワクしながら楽しみましたが、もう一つの楽しみが選手達の名前。毎試合打順が回る度にテロップに流れる名前が面白くて、飽きる事なく楽しみました。目立ったのは『蒼』や『颯』の文字。ふた昔前は『翔』の字が付く名前がとても多かったけれど、この大会ではあまり見なかったから、これも時代の流れかなと感じた次第です。へぇ、そう読むのかと感心したり、◯之介君と古風な名前もあったり、勇ましく武尊君がいたりで、男っぽいたくましく凛々しい名前が多いなと感じました。

さて、たくましい名前といえば『勝男武士』。『かつおぶし』こいつはさすがに強そうです。

 


背側と腹側が一対になるので、縁起を担いで婚礼や出産の贈答品にされました。
最初の写真にある節を組合わせると左側の塊が背(雄節)と腹(雌節)が合わさった形。左右の四本でかつお1尾。右は小ぶりのかつおで作った亀節。こちらは背と腹を切り分けていませんので二本で一尾。尖っているのが尾のように見えますが、こちらが頭があった方です。この節は三番カビを付けた『本枯れ節』です。節については『丸眞』さんが、ご専門ですからお任せすると致します。

かつお節と聞くと、普通は削られたやわやわとした物を思い浮かべますから、たくましさは感じませんけれども、削る前のこいつは硬くて打ち合わせると、コンコンと乾いた音がする程に硬い物。世の数多ある食品の中でも、一二を誇る硬さだそうです。この硬いやつを削るのは骨が折れますし、削る前の処理にとても手間と時間がかかります。先ず表面を柔らかくする為に、軽く蒸したり短時間お湯に浸けてから、節に残っている皮を包丁で除いて行きます。

雑味が出ないよう丁寧に皮を削ぎ取って、表面のカビと共にタワシを使って洗い流します。

ここでは出汁のバランスを均等に保つために大きい本節と小さい亀節を合わせて使っています。
小さな亀節は、背と腹の真ん中に包丁を差し込んで割ります。

割った節の中に付いているカビもタワシで洗い流します。

出汁10リットルのもり汁(辛汁)を取るためには、650g〜800gの節を削らなければなりません。ここまでの下処理だけでも小一時間はかかります。

秘密兵器の『縦型式削り機』です。
この削り機は、ハイス鋼の刃を持っています。硬質な節を削る専用機です。
需要が少なくなった事もあり(と言っても、もう30年位前に生産終了したのかなぁ)、現在ではなかなか手に入りません。
これが無ければ、やってられません!それでもね・・・・・

カッカッカッと削ってくれますけれど、機械を使っていると言っても、時間はそれなりにかかります。

引っかかったり、空削りしますから、その都度レバーを押したり引いたり。やっと一本が削れました。作業中は、結構ストレスがかかってイライラするんです。カッカッします。
店で節を削っている間、ストレス解消の為におもちゃのチャチャチャのメロディーにのせて、♪〜かつおのカッカッカッ〜♫と、歌いながら削っていました。

削り上がった節。これはそば店で使用する厚さとしては、薄いタイプ。
平安時代に、かつお節は『かか』と呼ばれていたそうで、女官達が丁寧に『お』をつけて『おかか』と言っていた記録があるそうです。女官の方々も『かか』を削る時、その硬さにカッカ!していたのかも。それで『かか』か?いやいや、そんははずは絶対ありません。

こちらは、削り方を調整して極薄く削りました。花削り節。フワフワです。

我が家のかつお節削り器。母が使っていた初代と娘が使っている現役の三代目。
二代目はハンドルを手回して削る機械があったのですが、消息不明。

近年、節を自店で削っている店は、かなり少なくなっていると思います。何より手間がかかります。時間もかかります。自店で節を削る一番の利点である「削りたて」は、節屋さんが努力して工夫していますから、脱酸剤やパッケージ等でしっかりカバー出来る様になりました。削った節その物の形も、今では様々にあります。

私自身、こだわってひたすら節削りと悪戦苦闘していました。が、ある日、業者さんがサンプルに持ってきた粉砕の細かいキューブ状の節を使って汁を作ったところ、結果味に変わり無しでした。それ以降、自店での節削りはやめることにしました。 『身を削る』思いで節を削る仕事から解放されました。人手がかけられないこの時代なら尚更の事、節削りは店ではやらないかな。

話は戻ってたくましい名前の事。

炎の画家ゴッホのファーストネームは、英語読みで『ビンセント』。オランダ人の彼のフルネームは『フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Goht)』。ゴッホは英語の『Go』と同じで、ビンセントは『勝利する者』の意味だそうです。さしずめ『行け勝男』といったところになりますか。これはまた、たくましいお名前ですね。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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