拝啓 あんかけそば様

拝 啓

 北風がそっと背中を押す季節となりました。
貴殿におかれましては、ますますご健勝のことと存じます。
猛暑の夏から、短い秋、いきなりの冬となり、いかがお過ごしのことでしょうか。
さて本日は、長らくご無沙汰しておりましたことを何よりお詫び申し上げつつ、
筆をとらせていただきました。

  先ずは、久しくお顔を拝見できずに、失礼いたしました。
そばはこれに限るなどと、これでなければと、冷たいそばばかりに走ったり、
つい気取って昨今、流行りの創作メニューに目移りしたり……と。
「せいろ」やら「天せいろ」やらと仲良くしているのを、どうかお許しください。
けれど、私は貴殿の温もりを忘れたわけでは、決してないのです。

  お顔を拝見できずと言いつつも、じつを申せば本年、
妻が一度、貴殿にお会いしているのです。
その際に、私もちらりとお顔を拝見する機会がありました。
覚えていらっしゃるでしょうか。

 今夏、外気温36度超の猛暑の日。
私たち夫婦が、三十数年前から年に一度ほど訪ねる、古いそば店でのことです。
エアコンが程良く効いた店内の冷気と、冷たいそば茶のグラスで、やっと一息。
お品書きを眺める妻が、あろうことか、貴殿に声を掛けたのです。
「あんかけを、そばでお願いします」
──この暑いのに、また何で…
半ば呆れたように私は呟きました。
妻はと言えば、涼しい顔で一言。
「だって好きなんだもん」
やがて注文が奥へ通り、厨房の奥から、弾むような声が聞こえてきました。

「えー、あんかけ!? 久しぶりだなぁ!」

 どうやら、こちらのご主人にとっては、真夏にあんかけを頼まれたこと以上に、
「そもそもあんかけの注文が入ったこと」自体が、それはそれで、
ちょっとした事件だったようでございます。
そう、驚きの矛先は、季節外れでもなく、妻の嗜好でもなく、
『あんかけそば』という存在そのものに向けられていたようです。

  そして、運ばれてきた一杯を前に、妻はうっとり、
「まったく……真夏にあんかけとは……
小声で呟いた私に、妻が笑って言いました。
「こういうのが、暑い時には一番しみるのよ」

  思えば、貴殿は江戸の世のお品書きにも、
しっかりと名を連ねておられた、由緒ある存在でいらっしゃる。
江戸末期の風俗を記した『守貞漫稿』にも、
ちゃんと「あんかけうどん」と記されています。
そんな来歴なぞは、ご自身のことゆえに、とっくにご承知のことでしょう。

 私たちそば屋にとって「あんかけ」は、台(うどん)で作るのが昔からの御常法。
ただでさえ切れやすいそばに、とろみのついた汁をまとわせれば、
なおのこと、プツリと切れてしまいます。
これを嫌ってうどんで供したのか、いやそれとも、
しっとりと馴染む、しなやかなうどんの口当たりが、
あんかけのとろみと抜群の相性だったからなのでしょうか。
いずれにせよ、貴殿はずっと昔から、うどんであれそばであれ、
汁にとろみをつけただけの存在に留まることなく、
後に出てきた「おかめそば」に似た具沢山の姿を借りつつも、
カレー南蛮やカレーうどん、かき卵などのあんかけ一家の惣領として
まるで「そこにいるのが当然」というように、
ご立派にお品書きの中に、存在し続けておられました。

  私もついこの間、このところの寒さに窮し、貴殿への思いも募って、
声を掛けてしまった次第です。
「注文、うーんとえーと、あんかけそばで──
私の前に現れた貴殿の変わらぬ姿。
その瞬間、湯気の向こうで貴殿が微笑んだ気がいたしました。
「お久しぶりです」
そう言う代わりに、一口すすって、少しヤケドをしてしまいました。
変わらぬ熱っぽさに、なんだか安堵してしまったようです。
つるりと滑らかなそばの上の、具材にふわり、とろりと寄り添うような餡。
寒い日に、まるで私の身体を包み込んでくれるような、その優しさ。
それなのに私は、気まぐれに季節の天ぷらに心迷ったり、
冷たいたぬきそばに浮気をしていたり……
まことに申し訳なく存じます。

  品書きの片隅で、ひっそりと、ひそやかに、しずやかに、でも堂々と。
どうか、これからもそこにいてください。
私たちがまた貴殿を恋しがる、その日のためにも切に願う次第です。

  これから寒い日が続きます。お身体ご自愛しつつも、この寒い季節だからこその
「ご活躍」を、祈念いたしております。 

敬 具

 

   追 伸 同封いたしましたスナップ写真は、夏にお会いした時のお姿です。
       湯気のせいで少しピンぼけですが、お納めください。

 

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康

<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。

感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。

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