子どもの頃からずっと見続けている、NHKの連続テレビ小説――通称「朝ドラ」。
ここ数年のお気に入りは、「ちりとてちん」「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「ひよっこ」「カムカムエヴリバディ」あたりだろうか。ヒロインの嫁ぎ先が松本のそば店という設定だった「おひさま」も好きだった。テーマソングのメロディーや歌を、今でも口ずさめる作品も多い。
小学生の頃、給食の時間に、担任の先生の特別な許可があり、脱脂粉乳を飲み、揚げパンを頬張りながら大人気の「おはなはん」を見た。
特別と言いつつ何より、誰よりも先生自身が子役の宮脇康之(後にケンちゃんシリーズを演じた)の可愛いさを楽しみにしていたのを覚えている。
朝ドラの思い出はほかにもある。整備中だった代々木公園の原っぱを近所の子どもたちは、まだ「ワシントンハイツ」と呼んでいた。
その草原での野球の試合、36対1で大敗した帰り道。夕暮れどき、バットにグローブをぶら下げ、しょんぼりと歩いていた私たちに向かって、NHK放送センターの前にいた、朝ドラ「あしたこそ」に出演中の藤田弓子さんが、微笑みながら手を振ってくれた。――もう、半世紀以上も前のことだ。あのときの笑顔を、今でもはっきりと覚えている。
朝ドラには、制作側の意図なのかもしれないが、劇中に「決めの言葉」がある。
「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」あたりから定着したように思う。
「あさが来た」の「びっくりぽん」、「とと姉ちゃん」の「どうしたもんじゃろのう」、「虎に翼」の「はて?」、そして近作「あんぱん」の「たまるかぁー」。
その年の流行語大賞にノミネートされるほど、朝ドラの「決めの言葉」は世間の話題をさらうこともある。朝の連続ドラマは、もはや「名セリフ製造ドラマ」と言ってもいいかもしれない。
昨今、少々耳が遠くなってきた私。
家人から「音が大きすぎる」とよく注意されるので、テレビを見るときは字幕を表示し、音量を抑えて(それでも「まだ大きい」と言われるのだが)見るようにしている。
そのせいで、セリフは「音」と「文字」の両方で受け取ることになる。
すると不思議なもので、思いがけず言葉の細やかなニュアンスまで感じ取れるようになってきたのだ。
そして今、新しく始まった「ばけばけ」。
これが、実に面白い。セリフ一つひとつにひねりがあって、思わず笑ってしまう。その中で、何気ない会話の中に、さりげなく、しかし頻繁に登場するある「セリフ」があることに気がついた。劇中の時代背景の頃には、ごく日常的に交わされていた言葉なのだろう。今の暮らしの中では、ほとんど耳にしなくなった感謝の意の言葉。けれど、少なからずそばに関わってきた自分には、確かに聞き覚えのある言葉だ。その美しい響きに改めて気づかされる。
——その言葉は「ありがとう存じます」。
「西荻窪やぶそば」は、久我山に住んでいた親友の家から歩いて十数分のところにあった。当時のガイドブックで、この店は「神田藪」の暖簾分けだと知ったのを覚えている。私たちは、近くの模型店で古い在庫を探すのが楽しみで、帰りがけにたびたび「やぶそば」に立ち寄った。そばの世界に足を踏み入れたばかりの私に、親友は「お前の勉強になるだろう」と言って、いつもおごってくれた。
格子戸を開けると、まず奥さんの「いらっしゃ〜い」が迎えてくれた。その声に続いて、若い花番さんたちの「いらっしゃ〜い」が、まるでこだまのように重なった。
財布も持たず、ジーパンのポケットに札と小銭を突っ込んでいるような若僧の私たちでも、他では味わえない独特の雰囲気や風情に触れると、なんだかほっとするような心地よさを覚えたものだった。お勘定の後、店を出るときにかかる、和歌を歌うような「ありがとう存じま〜す」という声と、続く花番さんたちの連呼に、店を出た若僧の私たちでも、思わず肩をすくめてにっこりと笑い合い、ちょっと粋な気持ちになったのを覚えている。——「いらっしゃ〜い」「ありがとう存じま〜す」は、薮直流ならではの言い回しで、他の店の「ありがとうございます」とはどこか違う風情を感じたものだ。
その言葉だけなら、真似はたやすい。でも、それは真似にすぎない。老舗が長い歳月をかけて育んできた品格や、そこからにじみ出る独特の風情には及ばない。
形だけをなぞっても、どこか安っぽく感じてしまうのだ。その一言の奥には、受け継がれてきた作法や心遣い、店で働いてきた人々の習いや誇り、そしてお客様への真の敬意がある。
言葉は「音」にすぎないけれど、そこに心が宿ったとき、初めて「店の声」となるのだろう。
先日、深いご縁があって、かつて「西荻窪やぶそば」を経営されていた「(株)杉並藪蕎麦」の社長さんとお会いする機会を頂いた。
今や「赤坂サカス」や「横浜そごう」などにも手広く店舗を展開されていると聞いていたので、二代目のバリバリ壮年・やり手の男性がお見えになるものと思っていた。当日、「神田藪」で待ち合わせ。ところが、目の前に現れたのは——とても気さくで明るい美しい女性だった。
「はて?」一瞬、わけがわからず「どうしたもんじゃろう」と戸惑っていたところ、ご紹介を受けて「じぇじぇじぇ」。お話を伺ううちに、なんとその方が、OL時代に私の赤坂の店にいらしていたという。まさに「びっくりぽん」。しかもその頃、わざわざお父様(現会長)をお連れくださっていたそうで――知る由もなかったが、もう「たまるかぁー」という思いだった。
若い頃の私に、そば店の風情と情緒を教えてくれた「西荻窪やぶそば」さんに。いまは音信が途絶えてしまった親友に。ずっと胸の奥にある感謝の気持ち。二つの思い出が重なった、その思いを言葉にするとすれば——考えて浮かんだのは、これだな、これしかないだろう。
——「ありがとう存じます」。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。