そば店の店頭に「新そば」のポスターが貼ってある。あなたがもし、その前で小さな声で歌を唄う男を見かけたら、そっと背後から近づいて、その声に耳を傾けてほしい。きっと何かそばの歌を唄っているはずだから・・・・・
暑い8月の終わり。スカイツリーを見上げる隅田川桜橋近くの向島の行った。長い歴史と由緒を誇る料亭の女将が、十数年前に始めたそのそば店は、 私が立ち上げから携わらせて頂いている店だ。
「聞いてくださいな、常連さんに新そばでは無いそばが食べたいと言われたの」
と、女将が嘆く。
その常連さんの言う事には、そこやかしこの店々で新そばの張り紙が出ているので、さぞ美味しいのだろうと期待をして食べてみた「新そば」が、ことごとくその期待を裏切られるものばかりだったそうな。
なるほど、それで新そばでは無いそばの方が良いと、おっしゃられている訳だ。
「うちはまだ新そばにはなっていないけれど、新そばどうしようかしら」
「どうするこうすると言うよりも、そばは次第に新そばに変わって行きますよ」
「他所はもうやっているのかしら?」
「もう、夏の新そばを出しているところもあるようですよ」
「新そばは嫌とか、もう新そばが出ているとか、良くわからないです、私」
女将は困惑気味な面持ち。で、確信を突いて来た。
「ところで、新そばって美味しいと思います?」
「うーむ、えー、あーうーんむ」
大平元首相が憑依したように答えをはぐらかす私がいる。
これからが本題。
ただ、新そばが美味しいかと問われれば、果たして美味しいとは言いきれない。
はたまた、美味しいと言いかねるところもある。
強いて言えば、味よりも色に若干の緑を感じるか、ほんのわずかに新鮮な香りを感じる程度の違いくらいのものかな。
特に、この数年の「新」に関しては、私はそう感じている。
近年、そばの作付けや農家の取り組みに始まり、貯蔵環境・方法や製粉技術・意識の改革。自家製粉・産直・流通・豊富な情報等、そば粉を取り巻く状況はこの数年間で数段に変化し進歩もした。
ひねそばと新そばの境があまり無くなって来た実感がある。
気が付かぬままに、いつの間にか、そっと新そばになっている感覚さえある。
これは、端境期のそば粉の劣化を感じ始める焦点と、新物が出回り始める焦点の時間の合間が非常に狭まった為による事象かと思う。
わかりやすくするために、かなり乱暴だけれど大まかに言うと、そばには作付けされる気候風土に適した品種がある。日の長い時期に種を蒔く長日種は、夏に早刈りされる早生種(わせ)「夏そば」。日の短くなった時期に蒔く短日種は、秋が始まる頃に出回り始める晩生種(おくて)の「秋そば」。その中間にあり種播時期の影響をあまり受けない中生種(なかて)がある。
諺に「そばは七十五日」と言う。そばは種を蒔いてからおよそ2ヶ月半で収穫
出来ると言うこと。
種播時期が異なるので、それぞれの収穫期が7月から11月の間と差異が生じる。最初、7月頃に出てくる夏そばが「夏新」、秋の初めの9月中旬から下旬に出てくるのが「秋新」。この後、順次に各産地で収穫されたその年の「新そば」が出てくる。 神奈川そば組合は、あえて新そばに走る事なく、実の成熟を待ってから収穫するそばを『成熟そば』と銘打ち、このそばを提供する提案を勧めている。秋に収穫したそばを熟成させ、年を越した2月〜3月期にもう一つの旬として深まった味わいを賞味して頂くのが狙い。川崎幸町・満留賀さんが発祥だそうだ。
『新そば=美味しい』では無く、『新そば=今年の新物』なのだと考えると、
これ自ずと納得がいくのでは無いだろうか。
以前、こんな事があった。店内に貼り出した『旬の新そば』ポスター。
それを指差した若い男性客が、
「この新そばって、何が入っているそば?」
この問いには、さすがに閉口したが、
「そば農家の苦労がたくさん入っています」
くらいの気の利いた答えを返せば良かったなぁと、今なら思う。
三十年くらい前まで、確かに端境期のそば粉が日々次第に劣化していくのが ハッキリとわかった。色は薄れて香りも鄙びて、そばの繋がりが悪くなって来る。だからこそ、何よりも新そばの到来を心待ちにしていたものだ。
さぁ、いよいよ新そばが届き、急いで紙袋の糸口をほどく。まずはそばがきにして皆で一口ずつ食べてから、そばを打った。今年のそばの出来を占うように神妙に味わった。 当時、新そばが届くことが心底ワクワクして、まさに「楽しみ」「喜び」「期待」であり、大袈裟な様だが「感動」でもあった。現在の私にはもうそんな新そばの感慨は、もはやすっかり薄れ、失われてしまった気がする。
覚えていると言う方もいらっしゃると思うのだけれど、ハニーナイツが歌った
『オー・チン・チン』と言う歌がある。ユーモアとペーソスがある佳曲。
作詞は里吉しげみ氏・作曲は巨匠小林亜星氏。里吉さんは水森亜土さんの夫。
ハニーナイツは、振り向かないでのシャンプーCMも歌っていた。
色々とうるさい昨今のご時世では、若干の問題になるかもしれない歌詞だけれど、今の世の中だからこそ、ネットで再び聴けるのが有難い。
新そばの季節感は、私の中では何だかあやふやになってしまったけれど、秋になると、この歌のサビの部分「オー・チン・チン♪オー・チン・チン♪あのチン○コよ、どこ行った」(表記一文字伏字)を「オー・新・新♪オー・新・新♪あの新そばよ、どこ行った」と変えて、朝の洗面所で、トイレの中で、パソコンに向かっている時も、車を運転中に、風呂に入りながら、憂さを晴らすが如く、大きな大きな声で唄っている。
もし、あなたが街中でそば店の店頭に貼り出された『新そば』のポスターの前に佇み、呟くように小さな小さな声で唄う男を見かけたとしたら・・・・それはきっとこの『私』である。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。