数年前、日本の古い歌がSNSをきっかけに世界中で空前の大ヒットとなったのをご存じだろうか。
松原みきさんの『真夜中のドア〜Stay With Me』。リリースから実に40年以上の時を経て、Spotifyのグローバル・バイラルチャートで1位を獲得するという奇跡を起こした曲だ。
二十代だった当時、私は夜のドライブでカーラジオから流れるこの都会的なメロディを夢中で聴いていた。カセットテープに録音し、何度も繰り返し流した青春の一曲である。
あれから長い年月が流れ、リアルタイムでこの曲に心を躍らせていた私たちも、いまや七十歳に手が届く年齢となった。
国境や言葉の壁を超え、いま世界中の若者たちを魅了しているあの伸びやかで切ない歌声——。
しかし、それを届けた松原みきさん本人は、2004年に44歳という若さで人知れずこの世を去っている。
自分が残した歌が、時を超えて世界を優しく包み込んでいることを、彼女は天国で知っているだろうか。
お気に入りの歌をカセットテープで聴いていた日々から、20年ほどの月日が流れた。四十代半ばになった私は、新規開店の現場スタッフの指導という大役を担い、札幌の地に就いていた。
イタリア古代煉瓦で装飾された『蕎麦 和楽』と名付けられた店。
お手伝いしていた新規店舗のオーナーであるS氏は、音楽や狂言公演のプロデューサーで、ニセコのペンション経営も手掛けるこだわり派だった。
私とは気が合う部分も多かったが、お互いに譲れない仕事への思いがあり、連日のように遠慮のない喧嘩を繰り広げていた。そうやって火花を散らしながらスタッフたちと開店準備に追われていた。
そんなある日のこと。ふらりと店を覗きにやってきた一人の男性がいた。
短髪に渋い佇まいを纏った、50代半ばほどの小粋な紳士である。S氏とは旧知の仲だそうだ。
試作中のそばを差し出すと、彼は「これは、うまいな」と本当に嬉しそうに目を細めてくれた。
聞けば、すすきのでジャズライブハウスを営んでいるという。
「今夜にでも、遊びに来なよ」
去り際、そう言って誘ってくれた彼の優しい目が、深く心に残った。
その夜、ビル4階にある店の扉をくぐった。
店内は大人の熱気が満ちる洗練された空間だった。 ステージにはベースとドラムス、そして華やかな女性ボーカルの姿。
その中央、ピアノの前に座っていたのは、昼間に試食のそばを啜っていた、あの人だった。
「おう!」
鍵盤に指を走らせたまま、気さくに手を挙げて私を迎えてくれた彼の佇まいには、昼間の顔とはまるで違う、本物の音楽家だけが放つ圧倒的なオーラが宿っていた。
「何かリクエストはあるかい?」
ピアノ越しにそう尋ねられ、カウンターに腰掛けた私は少し考えてから、「ラ・メール」をお願いした。
やがて女性ボーカルの甘く切ない歌声が静かに店内に響き始めると、鍵盤を奏でるその人は、私の方を向いてニコッと、まるでいたずら小僧のようにウインクをして見せた。
それ以来、私が札幌を訪れるたび、S氏はそのピアノ弾きの人と私を誘い出し、すすきのにあったグランドキャバレー『エンペラー』へと繰り出した。
ステージ上のバンドマンが、その人を見つけてはそれぞれ挨拶を送る。
煌びやかなステージと賑やかなショウを眺めながら、大人の男三人は夜遅くまで
グラスを傾けたものだ。あんなに心躍る夜は、後にも先にもなかった。
その人がこの世を去ったことを知ったのは、今から10年前、新聞の死亡欄でのことだった。急すぎる訃報に、私は言葉を失った。
彼が手塩にかけて育てた、すすきののジャズライブハウス『Slowboat(スローボート)』。あの頃は地元・札幌の熱心なジャズ愛好家たちが集う、知る人ぞ知る隠れ家のような店だった。
しかし、物語はここで終わらなかった。
彼が旅立った後、思いもよらない奇蹟が起きる。
彼が1977年に発表したファーストアルバム『Scenery』が、没後、YouTubeやSNSを通じて世界中で突如として爆発的な脚光を浴び始めたのだ。
哀愁を帯びた美しく力強い鍵盤の音色。国境も時代も易々と飛び越えたその音は、欧米の若者たちの心を掴み、熱狂を生んだ。
その人の名前は、福居 良。
あの日、私に「ラ・メール」を弾き、ニコッとウインクを投げてくれたあの人は、いまや世界の『Ryo Fukui』となっていたのだ。
この時代は、以前なら到底考えられないようなことが次々と起こり、思わぬ奇蹟を生み出していく。
喧嘩しながら開店準備をしたあの『蕎麦 和楽』は、時の流れとともに普通の住宅へと姿を変え、もはや当時の面影すら残っていない。
S氏が手掛けていたニセコのペンションもまた、近年の外国資本による開発の波に乗り、ニセコバブルの狂乱の中で高額で売り払われたという。
形あるものは移ろい、街の風景も人も、激動の時代の中に呑み込まれて姿消していく。 けれど、あの小さなジャズクラブ『Slowboat』だけは、当時の温もりを残したまますすきのの一角に佇み、いまや世界の『Ryo Fukui』の聖地として、地球のあちこちから訪れる熱狂的なファンで連日連夜の大盛況を極めている。
40年前、カセットテープで聴いていた松原みきさんの『真夜中のドア』が時空を超えて世界中で大ヒットしたように、札幌の小さな店で静かに鍵盤を叩いていた彼の音もまた、世界を優しく包み込んでいる。
昼間に美味そうにそばを啜り、優しく目を細めていたあの渋い顔を思い出しながら、私は遠い空の下で静かにグラスを傾ける。
「マスター、あなたのピアノ、いま世界中で大ヒットしてますよ」
名曲と本物の音だけが、永遠の命を得て、今夜も時の彼方を旅し続けている。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。21歳でそば打ちの世界に入り、片倉康雄・英晴父子に師事して、そば打ちの基本を学ぶ。その後、手打ちそば教室の主任講師などを務め、2004年に「永山塾」を開塾。長年にわたり研鑽を重ねたそば打ちの技術と、独自のそば料理を多くの人に伝えている。その感性豊かで繊細なそば打ちと、独創的で洗練された幅広いそば料理の指導、さらにユーモアあふれる講習や、軽い語り口によるエッセイが、プロ・アマを問わず多くのファンを魅了している。近年は、そば関連企業とのメニュー開発や個人そば店への技術指導など、多方面で活躍している。