
そば打ち講習で、最初に空気が変わる瞬間があります。
鉢の中のそば粉に水を回し入れ、指先でほんの少しかき混ぜた、その時です。
それまで白く静かだった粉が、急に命を吹き返したように、ふわぁっと香りを立ち上げる。青いような、甘いような、畑の風土まで混じっているような、あの独特の匂いです。
私は決まって、そこで皆さんに言います。
「はい、ちょっと顔を近づけてください」
すると、大抵の方が「えっ」と少し驚きながら、木鉢へ顔を寄せる。
「ああ……」
「食べた時の香りと全然違う」
「こんなに香るんですね」
小さなどよめきが起きます。
教える側としては、ここが最初の山場です。
「そう、これがそばの香りなんです」
そば打ちは、包丁さばきや形の美しさより前に、“香りの食”なのだということを、鼻で知ってもらえる瞬間だからです。
乾いた粉の時には眠っていた香りが、水を得た途端に目を覚ます。
まるで長く押し黙っていた人が、「やあ」と話しかけてくるみたいに。
私は、この瞬間が好きでたまりません。
ここから決まって調子に乗ります。
「健康のために牛乳を飲む人より、牛乳は配達する人の方が健康になるんです」
少し間を置いて、
「そばも同じで、食べる人より、打つ人の方が香りをはるかに感じます」
これ、皆さんいわく“永山節”って、言うそうです。
長く通ってくださる方などは、もう先回りして笑っています。
「ああ、出ました“永山節”」
「今日は早かったですね」
こちらも、半分は照れますが、半分は本気で話しています。

ところが先日、その“永山節”を口にした時でした
若い参加者の方が、きょとんとした顔で尋ねたのです。
「……牛乳配達って、何ですか?」
一瞬、水回しの手が止まりました。
そうか。もう、朝まだ暗いうちに、カチャカチャと牛乳瓶を玄関先へ置いて回る、牛乳配達を、知らない世代が当たり前になっているのです。
あの四角い受け箱も、牛乳瓶の紙蓋も、「ご自由にお取りください」の栓抜きも、もはや時代劇の小道具みたいな存在なのでしょう。
そうとは思うことなく、皆が同じに知っていると思って話をしていました。
考えてみれば、「回覧板」「テレホンカード」「貸本屋」と同じく、牛乳配達も知らずのうちに、遠い昭和の景色になってしまったのです。
試しに、「じゃあ新聞配達は?」と聞いてみたものの、これも反応が少し怪しい。
危ないな。
こちらの比喩のインフラが、急速に老朽化しています。
そのうち、
「黒電話って何ですか?」
「テレホンカード?」
「ビデオを巻き戻すって?」
などと言われ始めたら、私はたぶん、木鉢の前で茫然と遠くを見ると思いますね。

頭の中に、はっきり景色があります。
まだ薄暗い朝。
冬場なら、吐く息が白くなる時間。
遠くから、自転車の荷台に積んだ牛乳瓶が、
カチャ……
カチャカチャ……
と鳴りながら近づいてくる。
坂道ではチェーンがシャリシャリ鳴り、配達の人の息遣いまで聞こえるような。
玄関先の木箱に瓶を入れる時の、コン、と小さな音。
台所では味噌汁の鰹節を削る音。
吠える近所の犬。
家の中では、雨戸を開ける木のきしむ音。
ラジオ体操。
豆腐屋さんのラッパ。
金魚売り。
焼き芋屋の「い〜しや〜きいも〜」。
クリーニング屋のスティーム
風鈴のチリンチリン。
蚊取り線香の煙。
おでん屋台が鐘を鳴らす音。
黒い排気ガスの臭い。
電話のダイヤルが戻る時の音。
駅改札のカチカチ鳴らすハサミ。
病院の待合室のタバコの臭い。
銭湯の湯気に混ざった石鹸の香り。
商店のガラガラという引き戸。
肉屋のコロッケの匂い。
八百屋や魚屋の売り声
生活に混ざって、そこに普通にあった音と匂い。
昭和という時代は、今よりずっと“暮らしの音と匂い”が多かった気がします。
今のように便利で高性能ではなく、少し不便で、少しうるさくて、その代わり、人の気配が音になって漂っていました。

私のたとえ話も、知らないうちに“昭和の効果音付き”になっていたのでしょう。
けれども私は、少し古びた“永山節”を繰り返しています。
「延しているそばの横の両端を揃えると、厚みが均等になります」
「これを”まち”を合わせると言います、別名を二人の銀座とも言いますね」
「何で二人の銀座なんですか?」
「🎶”待ち合わせて歩く銀座〜”🎶」
「和泉雅子と山内賢、テケテケのベンチャーズ作曲ですね、懐かしいでしょう」
最近は、意味より先に「昭和ですねぇ、いいなぁ」と、年配の方は笑われますが、若い方にはさっぱりわからないと思います。
けれどそれで良いのです。
いつものように木鉢のそばに、顔を近づけてもらいながら、
「健康のために牛乳を飲む人より、牛乳は配達する人の方が健康になるんです」
「毎朝、重たい瓶を抱えて走り回りますからねぇ。飲むより、運ぶ方が体を使うんです」
そこで私は、そば粉に水を回し入れながら続けます。
「え〜、そばも同じでして食べる人よりも、打つ人の方が元気になる様で・・・」
すると木鉢の周りで、「ああ、なるほどね」と笑いが起きる。
若い人には牛乳瓶の配達そのものが、知らない昔話でしょう。
けれど、そば粉に触れた手の感触や、水を入れた瞬間に立つ香りは、今も昔も変わりません。
昭和の歌は分からなくても、
デンデケテケテケのベンチャーズなんて知らなくても、
木鉢を囲んで顔を見合わせて笑う、楽しいそば打ち。
その空気感は、皆さんにちゃんと伝わります。それが、大切なんです。
だから私は今日も、少し古びた“永山節”を、あきもせずに繰り返しているのです。

著者紹介

蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。
21歳でそば打ちの世界に入る。名人と名高い片倉康雄・英晴父子に師事し、そば打ちの基本を学ぶ。『西神田 一茶庵』『日本橋三越 一茶庵』に従事した後、『立川 一茶庵』で店長を務める。その後、手打ちそば教室の主任講師などを努め、2004年より「永山塾」を開塾。長年研鑚を積んだそば技術やそば料理の技術を多くの人に教える。
感情豊かなそば打ちやそば料理の指導に、プロアマ問わずファンは多い。近年はそば関連企業と連携して、開業希望者やそば店等への技術指導にも活躍中。