
「今日、〇〇屋で福井県産の〇〇を冷たい〇〇で食べた。おいしかったよ」
さて、この文章の〇〇に入る言葉を、「蕎麦」「そば」「ソバ」のどれで書きますか?
ノートに書くとき、メールで文字を変換するとき。あなたなら、漢字・ひらがな・カタカナのどれを選ぶでしょう。
「そんなこと、いちいち考えたこともないよ。別に気にしないね」という楽天呑気屋さんもいれば、「そうなんだよ。いつも迷うんだ。考え始めると、どれが正しいのか分からなくなってね」とおっしゃる、あの「地下鉄はどこから入れるのでしょう?」という漫才を思い出させるような、生真面目な方もいます。
一方、「場合によって使い分けています」と、きっぱり言い切る学究タイプもいらっしゃるでしょう。
普段は何気なく使っている文字ですが、表記が変わると、受ける印象まで違ってくることがあります。
日本語学者の今野真二先生は、著書『漢字とカタカナとひらがな――日本語表記の歴史』(平凡社新書856)の中で、日本語の表記の多様性について述べています。
日本語には、漢字・ひらがな・カタカナの使い方を一つに定める、いわゆる正書法がありません。もちろん、慣習や一定の決まりはありますが、すべての言葉について表記が一つに決められているわけではないのです。
決まりがないというよりも、捉え方に幅がある。縛りがないと言ったらよいのでしょうか。私は、そんなふうに受け止めています。
では、実際に書いてみましょう。
「今日、蕎麦屋で福井県産のソバを冷たいそばで食べた。おいしかったよ」
これはいかがでしょう。
蕎麦屋は漢字、福井県産のソバはカタカナ、食べたそばはひらがな。三つの表記が、一つの文章の中に仲良く同居しています。
では、こちらはいかがでしょう。
「今日、ソバ屋で福井県産のそばを冷たい蕎麦で食べた。おいしかったよ」
食べたものも、おいしかったという感想も、何ひとつ変わっていません。声に出して読んでみても、三つの表記の違いは聞こえてきません。
違いが現れるのは、あくまでも目で読んだときです。
同じ意味を伝える言葉なのに、文字の姿が変わるだけで、どこか印象まで変わるような気がします。
漢字には漢字の、ひらがなにはひらがなの、そしてカタカナにはカタカナの、それぞれ違った顔があるのでしょう。
私たちは、言葉を読んでいるようでいて、案外、文字の姿そのものにも目を留めているのかもしれません。
さて、そばを一杯、一枚食べたとき、あなたはどんな文字で書き留めるでしょうか。
ところで、拙著『蕎麦・そば・ソバの楽しい人生』では、出版社の厳しい校閲(?)があり、文中の表記を読みやすいように統一するようにとのこと。
「蕎麦」(漢字):お皿に盛られた「料理」や「食べ物」としての完成品
「そば」(ひらがな):職人さんが「打つ」「加工する」という職人技やプロセス
「ソバ」(カタカナ):畑で育ち、収穫される「植物」や「農産物」としての素材と、使い分けました。もちろん、これはその本の中での約束事です。
ちなみに、このブログでは、そんな使い分けをせず、すべて「そば」と書いています。
漢字・ひらがな・カタカナのうち、やはり分かりやすいのは、ひらがな表記でしょうか。
例えば、いきなり「土竜」と書かれたら、たいていの人は読めないかもしれません。
これ、「もぐら」です。でも、一般的には「モグラ」と書くことが多いですね。
漢字で「烏賊」と書くこともあまりありませんし、ひらがなで「いか」と書くよりは、やはり「イカ」と書くことが多いでしょう。
では、そば店の品書きならどうでしょう。
たぬきそば、きつねそばは、狸蕎麦、狐蕎麦とはあまり書きません。
また、カタカナでタヌキソバ、キツネソバと書けば、なんだかジビエ料理のような雰囲気になってしまいます。
文字の選び方ひとつで、料理の印象が変わってしまうのです。
妻とかけ流しの湯量が自慢の古い温泉宿へ出かけたときのことです。
宿に着くなり、私は妻より一足先に湯に浸かりに行きました。ひと風呂浴びて部屋へ戻る途中、廊下の片隅に小さな昆虫を見つけました。
部屋に帰って、妻にひと言。
「今さぁ、廊下にマラドーナがいた」
「あら、超有名なサッカー選手がいたわけね」
「あいつが、もし飛び上がっても、大騒ぎしないでね、恥ずかしいから」
「大騒ぎして、サインでももらおうかしら、マラドーナさんに」
私の言うマラドーナがある昆虫と重々知っている妻は、平然と聞き流しています。
さて、風呂から戻ってきた妻に尋ねました。
「あのマラドーナまだいた?」
この昆虫、漢字で書けば「竈馬」。
「竈」に「馬」と書いて、カマドウマ。こりゃ、漢字ではまず書けませんね。
昔の家のかまどの周辺などで見られたことが名前の由来とされ、後ろ脚の強い跳躍が馬の蹴り上げを思わせることから、「馬」の字が使われたともいわれています。
ひらがななら「かまどうま」。これなら、飛び上がるあいつも少しだけ可愛い感じがします。
ところが、これが「カマドウマ」とカタカナになった途端、どうでしょう。
なんだか外来種の、得体の知れない恐ろしい昆虫のように感じませんか。
もちろん、彼らは昔から日本にいる昆虫なのですが。
そして、それが私の中だけで、いったい何をどう勘違いして覚えてしまったのか。私はあの虫を、いつも「マラドーマ」と呼んでしまいます。めったにお目にかからない相手だけに、記憶を修正する機会もなかなかありません。
漢字で見れば、昔の暮らしを思わせる「竈馬」。ひらがななら、どこか愛嬌のある「かまどうま」。カタカナになると、少々不気味な「カマドウマ」。
そして私の頭の中では、なぜかサッカーの名選手にまで変身してしまう。
同じものを指しているのに、文字の姿によって受ける印象はずいぶん違うものです。
これは、つい先日のことです。若い頃からの友人と、御茶ノ水の楽器店巡りや古書店散策を楽しんだあと、秋葉原へ向かって歩いていると、神田の藪蕎麦の前を通りかかりました。
「ここ、神田藪蕎麦」そう言うと、そばにはさほど関心のない友人でも、少し反応しました。
「これが有名な神田藪蕎麦か」と、つぶやきました。
なるほど、文字にしてみれば「神田藪蕎麦か」。これをカタカナで書けば、
「これが有名なカンダヤブソバカ」です。
なんだか、得体の知れない繁殖力の強い外来昆虫の名前のようではありませんか。うっかりしていると、噛みつかれそうです。
「神田藪蕎麦か」が「カンダヤブソバカ」に文字の姿が変わるだけで、老舗そば店の名前が、正体不明の厄介な生き物に変身してしまいました。
いやはや、日本語の表記というのは、なかなか油断がなりません。
さて、あなたなら「蕎麦」「そば」「ソバ」、どれで書きましょうか。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。21歳でそば打ちの世界に入り、片倉康雄・英晴父子に師事して、そば打ちの基本を学ぶ。その後、手打ちそば教室の主任講師などを務め、2004年に「永山塾」を開塾。長年にわたり研鑽を重ねたそば打ちの技術と、独自のそば料理を多くの人に伝えている。その感性豊かで繊細なそば打ちと、独創的で洗練された幅広いそば料理の指導、さらにユーモアあふれる講習や、軽い語り口によるエッセイが、プロ・アマを問わず多くのファンを魅了している。近年は、そば関連企業とのメニュー開発や個人そば店への技術指導など、多方面で活躍している。