
妻と二人、時たま普通のラーメンを食べに行くことがある。
頼みもしないのに、妻から私の丼に運ばれてくるものがあって、それが厚切りのチャーシューならばとても嬉しい。しっかりと味のついたメンマならそれもまた嬉しい。それが青味のホウレン草だったとしても、そこそこ良いな。
けれど、我が丼に無言のうちに運ばれてくるのは、決まってあのピンクの渦巻き——そう、ナルトなのだ。ラーメンに乗っているというか、彩りとして付いてくるというか、存在感がなんとも微妙なあのナルトである。
妻曰く、「嫌い」なのだそうである。
たまらなく好きという人は滅多に居ないだろう。今までお目にかかったことは無い。そうとは言っても、なにかこれが嫌いでどうしても食べられない、というようなものでもないだろう。
おそらく妻は、「自分は好きじゃないけれど、夫は好きなのだ」と都合よく勘違いしているに違いない。
小学生の頃、同級生に「チャボ」というあだ名の男児がいた。
口数は少なくおとなしくて、特に勉強ができるわけでも、スポーツが得意なわけでもない。尖ったところのない子だったから、いじめられることもなく、あだ名で声をかけられるといつもニコニコとしていた。小柄で少しぽっちゃりとした体つきは、まさにチャボ(矮鶏)そのものを思わせた。
決してクラスの中心的な存在ではなく、特別な係を任されるわけでもない。
それでも彼には、そこにいるだけで周囲を不思議と落ち着かせる独特の雰囲気があった。
それはまるで、少し溶け始めたアイスクリームを放っておけないような、あの愛おしい気持ちにどこか似ていた。
私はその後引っ越しをして、彼の近況を知ることもなくなった。
後に風の便りで聞いた話では、沿線にある少し硬派で気荒な高校へ進み、一時期は学ラン姿で肩をゆすりながら町を闊歩していたそうだ。しかし成人してから大病を患い、今は体に不自由を抱えながらも、静かに落ち着いて暮らしているらしい。
麺に乗ったナルトを箸でつまみ上げるとき、私は彼のことを思い出す。
クラスの中で、いてもいなくても誰も困りはしない。けれど、みんなから用もないのに「チャボ」と声をかけられれば、いつでもニコッと笑い返していたあのおとなしい少年。あのどこか愛おしい存在が、丼のピンクの渦巻きと重なって、不思議と脳裏に浮かぶのだ。
さて、そのナルトの起源である。 書物によると、江戸時代の中期以降に作られたものらしい。元々は「五色巻き」という様々な色を巻いた練り物で、その中の一つであった白地に赤い渦巻きのものが大変な人気を博した。結局、その人気者だけが今の「ナルト」として現代に残ったのだという。江戸の昔は、間違いなく主役級の扱いだったのである。
見た目がどうしても地味になりがちな日本そばに、パッと華やかな彩りを添える。
ナルトはまさに、江戸の職人たちが生み出した視覚の演出であった。
やがて時代が下り、日本そばの文化と技の流れを汲んで誕生した「中華そば」にも、当然のようにあのピンクの渦巻きが添えられるようになったのである。
そんな歴史を知ってか知らずか、我が家での扱いはぞんざいである。
元旦の雑煮は毎年私が作るのだが、そこに私は必ずナルトを入れる。これは半ば私の「意地」だ。年末、正月用品がスーパーに並び始めると、私は真っ先に売り場に向かい、すぐに売れてしまいそうな一番小さなナルト巻きを買い求めて冷凍しておく。
だが、三箇日が過ぎ、松も取れようとする頃になっても、冷蔵庫の片隅にはまだ切り残されたナルトがぽつんと転がっている。要するに我が家でも、とことん人気がないのだ。
今、立ち食いそば店のサンプルケースを覗いても、そこにナルトの姿を見かけることは滅多にない。 一見安価に思えるが、この時代、練り物であるナルトはそれなりのコストがかかる。回転数で勝負する店において、添えても添えなくても売れ行きが変わらないのなら、真っ先に削られるのは致し方ないことなのだろう。
効率という物差しで見れば、ナルトは真っ先に「不要」とされる存在なのかもしれない。 けれど、この一見無駄に思えるピンクの渦巻きには、間違いなく意味があった。視覚的な彩りはもちろんのこと、「昔からこれを食べてきた」という確かな安心感である。
決して高級なそばではないけれど、庶民の「街そば」として——たぬきの揚げ玉やきつねのお揚げが並ぶ丼の中で、全体をキリッと引き締め、一杯のご馳走に仕立て上げてくれていたのは、他ならぬナルトだったのだ。
あのピンクの渦巻きは、日本の麺類文化をひっそりと支え続けてきた、陰の功労者なのである。
妻の丼から私の丼へと、無言のまま滑り込んでくるナルトを見つめる。
「嫌いだから」と追いやられ、決して主役にはなれず、それでも文句も言わずにそこにちょこんと座っている。
今や絶滅危惧食品と化したナルトの将来を、私は勝手に案じているのだ。
クラスの隅で、用もないのに呼ばれてはニコニコしていたチャボ少年の顔が、また少し重なった。
私は何も言わず、箸でナルトをつまみ上げ、ゆっくりと口に運ぶ。
これからも妻とラーメンを食べるたび、私はこの微妙で愛おしい渦巻きを引き取り続けるのだろう。
著者紹介
蕎麦料理研究家 永山塾主宰
永山 寛康
<プロフィール>
1957年(昭和32年)生まれ。21歳でそば打ちの世界に入り、片倉康雄・英晴父子に師事して、そば打ちの基本を学ぶ。その後、手打ちそば教室の主任講師などを務め、2004年に「永山塾」を開塾。長年にわたり研鑽を重ねたそば打ちの技術と、独自のそば料理を多くの人に伝えている。その感性豊かで繊細なそば打ちと、独創的で洗練された幅広いそば料理の指導、さらにユーモアあふれる講習や、軽い語り口によるエッセイが、プロ・アマを問わず多くのファンを魅了している。近年は、そば関連企業とのメニュー開発や個人そば店への技術指導など、多方面で活躍している。